「82年生まれ、キム・ジヨン」読書レビュー 男は、読んで!感謝して!謝って!抱きしめろ!許してもらえ!

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ここ数年フェミニズムのムーブメントが巻き起こり、日本でも関連の書籍やフェミニストのコメンテーターをテレビで見かけることが多くなった。
でも実際、フェミニズムの香りがする話だったり、フェミニストの旗印を掲げた人々の意見ってちょっと煙たいなぁって思っていた。
だって実際そんなこと言ったってさ、男だって結構つらいよ。って、思うのだ。
そう、男だって結構つらい。無理して強がらなくちゃかっこつかない時もあるし、なぜか食事代は多く出さないといけないし、道路の車道側を歩かないと男らしくないとか言われたりする。
寅さんだって嘆かんばかりに、男だって実際結構辛かったりするのだ。
そしてその辛さってのは声を大にして言えばいうほどに男としての器が小さくなる。
食事代をけちれば器の小さな男だと言われ、交通規則が行き渡った日本の道路状況を詳しく説明すればするほどに理性的な意見を言う男ではなく言い訳がましい小さな男だと言われる。

はぁ〜男ってつらいぜまったく。

なーんて思っていたここ最近、まさに二つある目に加えもう一つの目がパッ!と開くような本に出会った。
まさにフェミニズムに関しての議論が多く交わされだした二年前くらいに日本で翻訳され出版された「82年生まれ、キム・ジヨン」という本だ。

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この本、韓国では口コミだけで、時勢も手伝い飛ぶように売れたらしく、ムン・ジェンイン大統領にもプレゼントされたらしいのだ。
内容としては82年に韓国で生まれたキム・ジヨンという女性の半生を描いた小説で、文体もライトで190Pとちょっと、という長さなのでかなりサクッと読める。

しかしだ、ライトな文体と短いページ数の中に驚くほどの中身がぎっしり詰まっている。
初めは主人公キム・ジヨンさんの現在の時制から始まり、進むごとに彼女の幼少期に戻り、また現在に到るまでの半生が語られる。
そろそろと読んでいくと、1982年から現在に到るまでの韓国の社会の実情が読み取れる。
バブルを除けば、大まか日本とも大きく変わらなそうにも感じる、というより日本の話だと言われて読んでいれば気づかないだろう。自分自身も年がそこまで離れていないので(88年生)
まさに自分が暮らしてきた、そして自分以外の誰もが生きてきた懐かしき「当たり前」の社会が描かれている。

しかし、ページをめくるごとにこれは懐かしさという言葉に内包された暖かさや、慈しみの感情、言ってみればノスタルジーを語る話ではないとすぐに気付く。
そこに書かれているのは一人の人間が女性で生まれてしまったことから生じる、不当さ、悲しさ、怒りだ。そしてさらに、それらが全く行き場のないという閉塞感の中で、それを忘却するしか術はないと悟る諦めが書かれている。
キム・ジオンさんへと降りかかる男からの、いや社会からの、そして仲間である女性からの驚くほどに心無い言葉や行動にこちらも悲しさや悔しさを覚える。
何よりも悔しいのは彼女を取り巻くその環境が「当たり前」とされている社会だ。
出席番号が男子からつくのが当たり前の社会。
男性社員が多いのが当たり前の社会。
同じ働きでも男の収入の方が圧倒的に多い社会。
彼女はそれが「当たり前」の社会に生きてきた。
しかし同時にこちらもハタと気付いてしまう、彼女が生きてきた「当たり前」の社会に自分も男として生きてきたということに。
当然のように彼女を傷つけてきた「当たり前」に自分も加担していたことに愕然とする。
自分が何の違和感もなく過ごしてきた日常が、彼女にとって、女性にとってどれだけ窮屈な世界だったか、今まで自分は考えたことが無かった。といより気付いてすらいなかった。
これは韓国の小説だけれど、本当にそう言われなければ気づかない位に自分からとても近い話なのだ。

そしてこの話はキム・ジヨンさんだけではなく周囲の女性も描かれる、母や、姉や友人。
彼女たちもまた、彼女たちが暮らす社会の「当たり前」の社会に苦しめられている。
それでもキム・ジヨンさんは彼女らの強さや優しさに励まされ、難しい時代を力強く生きていく。
このあたりはこの小説のハイライトと言ってもいいかもしれない、そしてそんな女性たちを見ていると、どうしても自分の周囲にいる女性たちを思い浮かべてしまう。
母、仲のいい女友達、先生、上司の女性、そして気になっている女の子。
なんだか思い浮かべるだけで涙が出てくる、悲しいとか決してそういうわけではないけれど、なぜだか涙が出てくる。
どんな感情かは説明できないけれど、田舎から東京に来た母や、普段は笑顔な女友達、分かるわけもないのに彼女たちがどれほど「当たり前」の社会に苦しんでいたかを想像してしまう。
なぜだか分からないけれど彼女たちが愛おしくて、同時になぜか謝りたくて、同時に自分は情けない人間ですと告白したくなる。
そしてなぜだか彼女たちを抱きしめたくなる。(まじで意味不明)
優しくしてあげたいとか、そういうわけではない。
とにかく強く抱きしめたくなったのだ、もちろんエロではない。

なんでお前に!!絶対ヤダ!!キモい!!

きっとそう思われるかもしれないけれど、でも今は、なぜだか強くそう思う。
それほどまでにこの小説の中の女性は生きづらく、悔しくて、苦しんできた。
そしてそんな生きづらい社会に自分も少なからず加担してきた。
もしかしたら、その社会を作るのに加担した自分を許してもらいたいから、抱きしめるのかもしれない。卑怯すぎるだろうか。
でもとにかく、謝りたいような、許してもらいたいような気持ちになる。
でもきっと男性が読んだらそう思うはずだ。エロくもない、やさしさでもない、あなたはそこまでは悪くないと言ってもらうための、そんなハグがしたくなる。

だから、母がいる人は抱きしめて欲しい。
奥さんがいる人は抱きしめて欲しい。
女友達と飲んだら別れ際に抱きしめて欲しい。(拒絶されるかもしれないけど)
好きな人がいたら、抱きしめて欲しい。(嫌われるかもしれないから実際にはやらない方がよい)

一言添えても良いかもしれない、ありがとうとか、ごめんとか、それはなんでも良い。
でも、今は添える言葉が見つからない。
いつかその時に添える言葉が見つかるといいなぁと、そしてできることなら「いいんだよ」と許しの言葉をもらいたい。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んでそんなことを思ったのだった。

はい、そんな感じで最終的には変な精神状態になってしまいましたが、本当に自分の生きて来た「当たり前」の中に数え切れないほどの不当や、誰かの悲しさがあったんだなって気付ける作品でした。
たとえ女性に対する自分の意識が変わらずとも、女性と男性の違いをはっきりと理解し、その上でどんな些細なことでも不当に誰かの望む道や、選択が制限されてしまうような世の中は絶対に間違っている。常にそう考えることが、本当に、本当に重要だと思います。
本当にこれ、全世界の男性が読むべき教科書のような一冊ではないかと思います。

ちなみに話の中で出てくるキム・ジヨンさんの母がとても素晴らしい人で、正直言うとタイプでした。
夫の「就職ができないんだったらさっさとお前嫁にいけ!!」という心無い一言を浴びせられたキム・ジヨンさんに母は

「ジヨンはおとなしく、するな!元気出せ!騒げ!出歩け!分かった?」

「82年生まれ、キム・ジヨン」ジヨンの母

と、喝にも似た愛の言葉をかける。(今書いてても泣ける)
世の中にはいろんな女性がいるけれど、時折こうして強く、激しく、ケツを叩いてくれる女性が個人的にはタイプだ。自分に将来お嫁さんになる人がいるとするなら、こんな人がお嫁さんだったら良いなと切に思った。なんの話だ。

はい、そんなこんなで今日はこの辺りで

では!!

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