2021年12月24日に全世界に向けて映画「ドント・ルック・アップ(原題:「Don’t Look Up」)」がNetflixで配信スタートされた。
ジェニファー・ローレンス、レオナルド・ディカプリオ、メリル・ストリープ、ジョナ・ヒル、ケイト・ブランシェット、ティモシー・シャラメらのハリウッドスターが大集結し、まさしく年末にふさわしいお祭りオールスタームービーとなった。
この名だたるキャストを率いたのがアダム・マッケイという監督だ。
アダム・マッケイという映画監督のキャリアやフィルモグラフィーはとても変わっている。
初めはコメディー作品からスタートし、その後「マネー・ショート」「バイス」と、いわゆる社会派的な作風へと変化し最新作の「ドント・ルック・アップ」ではコメディと社会派がちょうど合流したような作品となっている。
今回からはそんなアダム・マッケイ監督作品を処女作から見ていき、それぞれについて書いていきたいと思う。
ってわけで一発目はびっくりするくらいくだらなく、しかしやっぱりびっくりするくらい笑えてしまう第一回監督作品「俺たちニュースキャスター」について書いてみます。

日本では劇場未公開

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作品概要
「俺たちニュースキャスター」は2004年のアメリカ映画。
原題は「Anchorman: The Legend of Ron Burgundy」
監督は先述の通りアダム・マッケイ、主演はウィル・フェレル。
脚本はアダム・マッケイとウィル・フェレルの共同執筆。
その他クリスティナ・アップルゲイト、ポール・ラッド、スティーヴ・カレル、デヴィッド・ケックナーなどが主なキャスト。
今作の監督アダム・マッケイはもともと「サタデー・ナイト・クラブ」(ビル・マーレイ、エディ・マーフィーなどを輩出した人気番組)というコメディバラエティ番組のライター、ティレクターを務めていたテレビマンだった。
その番組でレギュラーを務め人気者になっていったウィル・フェレルとタッグを組みできたのが「俺たちニュースキャスター」なのだ。

ビートたけしに高田文夫という放送作家がいたようにウィル・フェレルにはアダム・マッケイがいた、という感じだろうか。
今だとバナナマンとかおぎやはぎ、劇団ひとりにとっての佐久間信行と言った方がわかりやすいかもしれない。
監督と主演のそうした出自もあってか、今作はウィル・フェレルもその一員とされていた「フラット・パック」というコメディ集団のメンバーがちょい役で結構出てきている。
キービジュアルはばりばりなコメディ感と低予算感が丸出しだが、アダム・サンドラーやジャック・ブラック、セス・ローゲンといった今やコメディ界にとどまらず映画界のスター達が不意に顔を出すから驚きだ。
そもそも準主役のポール・ラッドは今や「アントマン」だし、スティーヴ・カレルも今やコメディ映画外でも高く評価されている。
実はこの作品、最新作の「ドント・ルック・アップ」に負けず劣らず、かなりのオールスター映画な仕上がりになっている。

あらすじ
舞台は1970年代のサンディエゴ、地元のテレビ局の「チャンネル4」はローカルで視聴率No.1の人気ニュース番組だった。
その番組でアンカーマンを務めるロン・バーガンディ(ウィル・フェレル)、そしてキャスターのブライアン(ポール・ラッド)、お天気担当のブリック(スティーヴ・カレル)、スポーツ担当のチャンプ(デヴィッド・ケックナー)は街の人気者だった。

4人は仲良くいつも一緒、パーティー三昧の毎日を送っていた。
しかしそこにアンカーの座を狙おうと野心溢れる女性キャスターヴェロニカ(クリスティナ・アップルゲイト)が入社しどんどん街の人気を奪っていく。
嫉妬に燃える4人の男達はヴェロニカを追放すべく無慈悲ないやがらせ作戦の決行を決意する!

そして映画冒頭では驚くべきテロップ…
「この物語は、実際に基づいた物語です」
映画を見終わると全く信じられないこの前書き、この部分は後述します。
小学生でも、大人でも笑える…、男なら
「俺たちニュースキャスター」はど真ん中直球のコメディ映画だ。
しかも豪速球でも、ノビのある直球でもなく、打てばスコーンとかっ飛ぶくらいのド級の軽さの直球コメディ。
今となっては大スターなコメディアン達が集結してるだけあってこの映画はひたすらに楽しいし、まずこの映画を語るには「とにかく笑える」に尽きるだろう。
やはり個々のキャラクター設定が抜群に面白い。
ウィル・フェレル演じる主役のロン・バーガンディはバカだ。
バカだからカンペに書かれた事は全部読んでしまう。
番組の締めの台詞「ロン・バーガンディでした!」というカンペを誰かが間違えて「?」にしてしまう。
するとロンは不可解に眉をむずつかせながら
「ロン・バーガンディ…でし…た?」と読んでしまう。それくらいバカだ。
ポール・ラッド演じるキャスターのブライアンもバカだ。
バカだから番組収録中に自分は映らないからと思いタバコを吸う。
隣のロンを抜いたカメラには、ロンの前に白い煙が普通に漂っている。
デヴィッド・ケックナー演じるスポーツキャスターのチャンプもバカだ。
バカだからホームランのニュースしか読まないし、バカすぎて自分のセクシャリティがゲイだということにすら気づかない。
そしてスティーヴ・カレル演じるブリックが多分一番バカだ。
言葉が悪いが1人だけ知恵がレベルが違うくらい足りていない。
ブリックのバカさは言葉では言い表せないバカさなのでこればかりは本当に見てほしい。
多分ブリックは自分がお天気キャスターとしてテレビに映っていることを理解してないくらいバカだ。
そんなこんなでこのバカな大人4人が暴れ倒す姿が本当に笑える。
些細な会話も笑えるし、明らかに狙ってるであろう大ネタも間違いなく笑える。最終的にはただ4人が並んで歩いているだけでもなんだか笑えてくる。
とにかくやることなすこと、話す内容に至るまでバカ…そして異常なほど幼稚だ。
全てが小学生くらい幼稚なのに見た目はかなり中年ってところが無敵の笑いのシステムとなっている。
後半は女性キャスターのヴェロニカの地位を落とすためにこの4人が数々の嫌がらせをするのだがこのシーンの小学生のような幼稚さ、バカさは群を抜いている。
例えばロンは番組のナレーターに賄賂を払い、ヴェロニカの紹介の際に「ヤリ○ン女性キャスターのヴェロニカです!」とナレーションさせる。
賄賂という泥臭い大人の手段を使いながらもやる事はとことん小学生のイタズラ。
凄まじい下らなさだが、でもやっぱり、どうしても笑ってしまう。
とにかく小学生でも笑える下らない笑いが溢れる映画なので存分に笑ってほしい。
しかし、散々笑った後に少しだけゾッとする。
見た目はもちろんおバカで幼稚なコメディ映画だが、話の筋としては完全に女性を差別し、侮蔑する内容の話だ。
コメディの皮を被っておきながら、散々笑わせながら、気づくと見ていたスクリーンには下劣な笑いを浮かべた自分が鏡写しになっていてゾッとする…
そんな恐ろしい側面がこの映画には少しだけある。
ヴェロニカが「男に勝つには、最高になるしかない…」と嘆くシーンは、コミカルに描かれてはいるもののやはり笑って見られないシーンだし、これまで笑っていた自分を顧みることになる。
小学生が作った社会
「俺たちニュースキャスター」は確かにバカで、子供じみていて、底抜けに笑える映画だ。
もちろん見どころはそこにあると思うし、笑えるシーンは思いっきり笑うのがこの映画の楽しみ方だと思う。
でも、アメリカの「笑い」にはいつも「皮肉」が入り混じる。
アメリカンジョークもそうだ。
「俺たちニュースキャスター」はあらすじの通り、社会で躍進しようとする女性をいじめて、嫌がらせをして諦めさせる「男社会」が舞台だ。
分厚いコメディによって忘れがちだが本筋は絶対的に「男社会」を描いている。
映画の舞台は70年代だが、残念ながら今も大きく「男社会」が変化しているわけではない。
そしてそんな「男社会」を描いた話がバカで、とことん子供じみていて、どうしても笑ってしまう。これって笑ってるだけで良い話なのだろうか
この映画のバカさ、子供らしさ、それは「男社会」、ひいては「現代社会」のバカさ、子供らしさと直結してるんじゃないかという恐ろしさを同時に感じる。
この映画を見て「ばかだなぁ!ガハハ!」と笑う事は自分が暮らしている社会を俯瞰して「ばかだなぁ!ガハハ!」と笑う事とほぼ同義なのではないかと思えてしまう。
そこに、アメリカンコメディの「笑い」だけでなく「皮肉」が同居するシニカルな味わいがある。
この映画の冒頭で「事実に基づいている」と表示されているテロップはもちろんこの映画全体のストーリーの事を指しているわけではない。
映画はクライマックスに向けてどんどんはちゃめちゃな展開になる
。ロンとヴェロニカは動物園のクマの檻に閉じ込められて、ロンの愛犬がクマと交渉してロンとヴェロニカはなんとか助かるのだが、もちろんこんな話は事実ではない。
この映画の「事実に基づいている」というのは、ヴェロニカをやめさせるためにロン達が行った嫌がらせの数々を指している。
実際に地方局でアンカーを目指していた女性キャスターが受けた嫌がらせを読んだアダム・マッケイとウィル・フェレルが
「俺たちならもっと面白く嫌がらせできる!」
という謎の発想から始まったのがこの映画だ。
もちろん賄賂をつかませ「ヤリ○ン女性キャスター!」とナレーターに読ませたとか、そこらへんは脚色していると思うが、きっと賄賂を使った事自体は本当なのだろう。
程度の違いは大きくあるにしても、本質としては同じで愚かだ。
逆にいえばアダム・マッケイは本質は変えずに、程度の違いで愚かさを笑いに変換している。
だから散々笑った後に、少しゾッとする。
あとで1人になった後に笑いの裏にある愚かさに寒気がする
この奇妙な温度差はアダム・マッケイの個性だし魅力だと思う。
「こいつら大人なのに、小学生みたいな脳みそしてんな!」
と笑いながらも、実は男達は賄賂を使ったり、恐喝したり、無意味に誰かを仲間はずれにしたり、小学生みたいなズルを平気でして、そしてそんな小学生みたいなやつらが社会を作っている。
男の自分達はまだいいが、一生からかいを受ける女性達は…
「俺たちニュースキャスター」ははちゃめちゃなコメディだが、薄皮を一枚めくればそこには現実がまざまざと描かれているのだ。
笑えるように作ったからもちろん笑える映画なんだけど、やっぱり最後にゾッとするっ…てのがこの映画の正しい受け取り方なのではないだろうか。
でもまぁ、それにしても今の時代から見るとちょっと女性に対して失礼な話の運びになっている気がする、という部分はもちろんある。
せめて最後はあそこまでカラッとしすぎずに男の反省、あるいは懲罰を描いても良いのではないかなとさえ思うほどだ。
しかしそれも「結局男社会は男であるだけで最後には笑って許される」という恐ろしさを描いているの…のかもしれない
アダム・マッケイの作風
アダム・マッケイ最新作の「ドント・ルック・アップ」も地球滅亡の危機に立たされた人類の「結束しなさ」「立ち上がらなさ」を描いたコメディだ。
しかしここにも妙に嫌ぁリアル感を感じてしまう。
見ていると本当に人類は「結束せず」「立ち上がらない」のではないかと思えてくる。
「目を逸らしたい未来」のモデルケースをアダム・マッケイは「こうなっちゃだめだよ!」と、希望を持って且つ警鐘を鳴らすために逆説的に描いたのかもしれない。
「俺たちニュースキャスター」は男社会が蔓延る70年代のアメリカが舞台だ。
作成時の2004年から20年以上も昔の話。
女性の社会進出が公的な目標となりつつある時代にアダム・マッケイはアメリカ全体が「目を逸らしたい過去」をあえて見せつけた。
そういった「目を逸らしたいもの」に目を当てさせるのがアダム・マッケイの作風なのかもしれない。
といいつつもまだ最新作と処女作しか見ていないので今後の作品も通して個性を深く探っていきたい。
次回は同じくウィル・フェレル主演のアダム・マッケイ作品「タラデガ・ナイト オーバルの狼」について書きます!
それではまた!

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