「別離」映画レビュー(ネタバレ) 右も地獄、左も地獄

映画

映画の主人公はいつもクライマックスで重大な選択を強いられる。

時限爆弾の赤のコードか青のコードか
恋人の命か地球の危機か
自分の信念を突き通すか組織に従うか

うわー究極の選択!俺だったらどっち選ぶかなー!
…なんて迷うのも無駄なくらい、彼らに突きつけられる選択は僕らの日常からはかけ離れたまさしく映画的な選択。
そして彼らは必ずどちらかを選ぶ。
選択から逃れず、ハッピーエンドでスカッと幕を降ろすのか、バッドエンドのどんよりした静寂で劇場を覆い尽くすのか、映画の主人公たちは何年もその選択から逃れず戦ってきた。

そんなわけで今日はまさしく選択を描いたにふさわしいと言えるイラン映画「別離」について書いてみよう。
まずはざっと概要を

「別離」(2011年公開。イラン映画)
監督:アスガル・ファルハーディー
脚本:アスガル・ファルハーディー
出演:ペイマン・モアディ、レイラ・ハタミ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、
   サリーナ・ファルハディ

この映画はベルリン国際映画祭でグランプリとなる金熊賞、そして女優賞、男優賞の銀熊賞、加えて第84回アカデミー賞でも外国語映画賞を受賞している。

些細なすれ違いから生まれるサスペンス

物語の舞台はイランの首都テヘラン。
アルツハイマーの父を看病するその息子ナデル(ペイマン・モアディ)と妻シミン(レイラ・ハタミ)、そして娘のテルメー(サリーナ・ファルハディ)から成る一家、そしてその家に家政婦として働くことになったラジエー(サレー・バヤト)の一家を中心に物語は進む。

一家の主ナデルを演じるペイモン・モアディ
家政婦ラジエーを演じるサレー・バヤト

父のアルツハイマーをきっかけに離婚協議中の最中、妻シミンは娘のテルメーを夫のもとに残し実家に帰り、夫婦は別居することに。
そこに雇われたラジエーだが、彼女の体型は少しぽちゃっとしていて雇われ先に一緒に連れてきている幼い娘ソマイェにお腹の音を聞かせている。
そう、ラジエーは夫ホッジャト(シャハブ・ホセイニ)との間に第二子を授かっていた。
そしてこのお腹の中の子が後に大きなトラブルの種になってしまう。

初めは良く仕事をこなしていたラジエーだったが、ある日事件が起こる。
ナデルが早めに帰宅するとそこにラジエーの姿がなく、父の部屋ではアルツハイマーの父がベッドに手を縛られ倒れていた、しかもラジエーの日当のお金も無くなっていたのだ。
しれっとした顔で帰ってくるラジエーだったが憤慨したナデルにアパートから押し出されその拍子に階段から落ちお腹の子供を流産してしまう。

ここから物語は法廷ものの様相を呈してくる。
ナデルによってお腹の子供が亡くなり、彼は殺人罪で起訴される。しかしナデルはお腹の子の存在を知らなかったと主張する。
対するラジエーはナデルの前でお腹の子供の話をしたことがあると主張する。

事件の当事者はナデルと娘のテルメー、そしてラジエーと幼い娘のソマイェの4人。
彼ら4人の証言と相手への憎しみ、そして彼らの家族であるシミンやホッジャトという第三者の憎しみも加わり、物語は大きな憎しみの螺旋を描き、深いところへと降っていく。

この映画、ここまで書いたように些細な人間同士のすれ違いと、真実はどこにあるのかというサスペンスタッチの展開によってグイグイと引きこまれてしまう。
職業的な介護人ではない赤の他人に家の事やアルツハイマーの父を預けるという危うい雇用関係は緊張感溢れるし、ナデルが本当にラジエーの妊娠を知らなかったのかという謎も映画に絶妙な推進力を持たせている。「一体どんな真実が」という気持ちにさせられて見入ってしまう。
そして次第に、圧倒的な被害者であるはずのラジエーにも隠された真相があることも分かってくる。ここまで謎が散りばめられるともう観ているこちらも深い闇に一緒に降っていくしかない。

お父さんは本当に…

個人的にこの映画で非常に観ていて辛かったシーンは、娘のテルメーが父ナデルに対して

「お父さんは本当にあの人の妊娠を知らなかったの?」

と問いかけるシーン。

テルメーは中学一年生なのでただ純粋無垢に真実を知りたがっているのではない。
そこには自分の父に自分の保身のために嘘をついてほしくないという気持ちもあるが、自分や今の生活を守るための嘘が必要だという理解も当然ある。
誠実な父親であってほしい想いと、父の立場をおもんばかる想い、限りなくイーブンな二つの想いが彼女の中で葛藤している。
それでも51:49くらいの僅差で、誠実な父でいて欲しいという想いが勝る。
そして彼女は父に問いかけた。愛する父にどんな生き方を選ぶのか選択を迫った。

そして父ナデルも大きな選択を迫られる。しかも自分の愛すべき娘にだ。
しかしそれはいわゆる映画的な選択ではない。
間違えれば時限爆弾が爆発するような問いでもなければ、世界が消え去るわけでもない。
どちらを選んでも暗い未来しか見えないどんよりとしめった選択だ。
めちゃくちゃ地味だけど、親子の絆に一生の傷が残る選択だ

そして父ナデルはこの選択から「逃げる」という第三の選択肢を選ぶ。
13歳かそこらの愛する娘が悩みに悩み抜いて迫った選択から、父は背をむけて逃げてしまった。
彼はわずかな手がかりからラジエーが階段で転んだのは故意なのではないか?そもそもその時にはもう流産していたのではないか?と疑いはじめる。
真相究明という美名の下に、彼は真実の告白から「逃げる」。
そして事態はますます悪化する。負が負を呼び、負の連鎖が加速する。
もちろん娘が望むように誠実でいようと葛藤する姿も描かれるのだが、彼はいつしか真相究明に躍起になっていく。
そうして免罪符を手に入れ執拗に真相を追い求めるナデルを、もはやテルメーは虚しく見つめる。
映画を盛り立てるはずの真相究明、しかしナデルが必死に真相に近づけば近づくほどに、映画はますます虚しさを強めていく。

選択から逃げる人々

最終的には父ナデルは妻の説得もあり、ナデルは示談金を払い事件を収束させようとする。
選択から逃げた彼も最終的には一応の選択を決意したのだ。
それでも、掴みかけた真相を離したくないナデルは最後の最後でラジエーに問いかける

「君は本当に、僕のせいでお腹の子供を亡くしたのか?もしそうなら、コーランに手を置いて誓って欲しい」

望んでいた相手の告白が聞けたラジエーのはずだが、彼女は誓いをたてようとしない。
たった一言で済む嘘を、彼女はつくことができない。
実は彼女もナデルの疑いの通り、妊娠についてのある真相を隠していた。
そして彼女もこの選択から「逃げる」

娘テルメーが父に誠実であってほしいと願うのと同じように、自分もまた誠実でありたいと願うラジエー。
彼女は日本人の僕らが勝手に想像する通りに、イスラム教の教えに忠実だ。たった一つの嘘が神の怒りを呼ぶことを何よりも恐れている。
信心深い彼女はコーランに手をおいて誓うことができない。
彼女は泣き叫び、選択することから逃げていく。
嘘をつくことも、真実を話すこともせず、ただ泣き叫ぶ。
こうして誰も救われることなくこの映画はあるラストシーンを残して終わってしまう…

ちなみにこの映画では宗教に触れるシーンがいくつかある。
コーランに手を置いて、とはまさしく「神に誓って」という事だが、ラジエーはこれまで平然とついてきた嘘をコーランに手を置いてつくことだけはどうしてもできない。
このラジエーというキャラクターにどんな意味が込められていたのかは分からないが、実態のないものによって自分の人生すらも左右されるんだな…と思った。…がその瞬間に
あれ、じゃあナデルも一度は自分の人生をフイにしてまで真実を語ろうとしたのはなんでなんだ?ナデルが誠実な道を選ぼうとしたあの葛藤っていったいなんなんだ?神を裏切れない想いと、誠実を裏切れない想いの違いはなんなんだ?
と、考えだすと途方もなさそうな疑問がにぶつかった。
もしかするとこの映画での宗教の取り扱い方はそんな人の中に眠る本能的な倫理観みたいなものを表現するツールなのかもしれない。

ナデルとラジエーに課せられた大きな選択に焦点を絞ってみたがこの映画、実はもっとたくさんの選択に満ちた映画である。登場人物の誰もが多くの選択をし、その選択の結果で物語が作られている。
しかし大きすぎる選択を前にして、そこから逃げてしまう二人がいる。
その逃走によって物語はどんどんと暗い方へ、救いのない方へと堕ちていく。

この映画が面白いのは、二人に与えられた選択があたかも映画的な「明確さ」がないところだ。
爆弾が爆発するかしないかでもなければ、恋人が死ぬか地球が滅びるかでもない。
どちらを選んでも「まぁまぁ最悪」な選択が二人に課せられる。
そんな選択を前にして、人はどんな行動をとるのだろうか。
二人は迷いに迷ったあげくその選択から「逃げる」という第三の選択肢を見出してしまった。
この映画では、それは真相を究明し相手を打ち負かすことでもあり、自分しか知らない真実を永久に隠し続けることでもある。
人間の醜さを巧妙に描きつつも、彼らの直面するあまりにも救いようがない現実に「その選択肢、全然共感できる…」という嫌な感情移入をさせられてしまう。

そして嫌ぁ〜なリアリティも、この映画にはある。
現実では、映画のように劇的な悲劇や、ハッピーな事はなかなか起きない。
でも、映画にもならないような地味ぃ〜で嫌ぁ〜な事が、現実では数え切れないほど起こる。
それが運悪く重なると、この映画のような身動きのとれない状況になってしまうんではないかとなんとなく想像できてしまう。
きっとこの映画が小さな出来事の積み重ねで構成されているからだろう。

考えてみれば、僕らの日常も選択に満ちている。
今日は会社休んじゃおっかな?帰りに一杯やっちゃおうかな?あの子にLINEしてみよっかな?
そんな小さな選択はすぐに選べるものだけれど
この先の人生ずっとこの会社にいるのかな?ずっとこの人と一緒にいるのかな?夢、諦めた方がいいのかな?
ここらへんの選択、結構自分は逃げていたなと思う。

この映画を見ると、選択から「逃げる」と事態は全く前に進まないどころか、悪い方へ悪い方へ行ってしまうことを教えてくれる。
最悪の結末で、前向きな雰囲気なんて皆無なんだけど
「選べよっ」
って強引に背中を押してくれる。

ほんとかなり強引に、なんだけど…

はい。そんな感じでここまでにしておこうかと思います。
とにかく「別離」すごく面白いのは間違いないし、救いがなさすぎるが故にもはや反面教師にしようと思える映画だった。
とにかく選んで、前に進まないと物事はどんどん負の方向に行くのです、きっと!
ブログだって毎日毎日書こうかなー、だるいなーなんて迷ってないで書くなら書く!書かないなら違うことする!そう決めちゃえばいいのだな、きっと。

ちなみにこの映画の本当のラストは、意外な人物がめちゃくちゃ大きな選択を強いられることになる。そこでその人物は涙ながらに

「答えは、決まっています」

と力強く答えてくれる。

だから
右も左も地獄でも、とりあえずは選んで前に進んでみよう。

では!!

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