空っぽのアメリカンニューシネマ「明日に処刑を」。スコセッシがだしたアメリカンニューシネマへの一つの答え

映画

どうも、本日も旧作映画について書きたいと思います。

1960年代後半から1970年代半ばにかけて、アメリカンニューシネマという映画郡がアメリカの若者の間で大流行しました。
今回書かせてもらう「明日に処刑を」(原題:Boxcar Bertha)は巨匠マーティン・スコセッシ監督のアメリカンニューシネマをベースにしたエクスプロイテーションムービーです。。

エクスプロイテーションムービーというのは謂わばその時代の時事ネタやエロシーン等を目玉にしたインスタントの向きの強い映画ジャンルのうちの一つです。

下記簡単に映画の概要です

「明日に処刑を」(原題:Boxcar Bertha)
公開:1972年
制作:ロジャー・コーマン
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジョイス・フーパー・コリント、ジョン・ウィリアムス・コリントン
出演:バーバラ・ハーシー、デイヴィッド・キャラダイン、バリー・プリマス、バーニー・ケーシー

Boxcar Bertha – Trailer

当時はアメリカンニューシネマ全盛の時代。流行りの映画は若者が何かに怒りを感じ、それに向かって立ち向かいながらも最後には悲しくも散っていく、という構造がもっぱらでした。

この映画も御多分に洩れずそのスタイルを形式的に使い、随所にエッチなシーンや銃撃戦がはさまれるといった構造となっております。

しかし個人的にはこの映画は少しアメリカンニューシネマを俯瞰してみているようにも感じました。そう感じるには

  • 主人公をヒロイックに描かない点、
  • がアメリカンニューシネマ特有の閉じた物語性をシニカルに描く点

が挙げられるかなと思います。

アメリカニューシネマ全盛期は「俺たちに明日はない」が公開された67年に幕を開けました。
ヘイズコードが敷かれていたそれまでのハリウッド映画への鬱憤がはらされるような、暴力とセックス描写に若者が熱狂したのです。
アメリカの若者はベトナム戦争の悲惨な状況とは正反対の、絵空事ハリウッド映画とは違うこの世の「リアル」をアメリカンニューシネマに見つけました。

今作の公開はそこから5年経った72年。
低予算で焼き増しの映画が大量に作られる中、この作品も生まれました。
ちなみに制作は「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンです

悲惨な労働状況や、ベトナム戦争下で生きる若者の、うちに秘める悲痛な叫びが、スクリーンのヒーローたちによって体現される。そんな自己実現欲が満たされたのがアメリカンニューシネマだったのではないかと思います。

しかしこのムーブメントの中にもやはり綻びが見え始めます。

それは彼らヒーロー達の自己完結型の生き方、反体制の意義を失った極めて閉じた物語への懐疑が原因だったんじゃないかと思います。
お前その時代生きてねぇだろ言われたらそれまでですが、いくつかアメリカンニューシネマを観ているとそう感じたのです。

主人公達の若者は体制に反逆し、仲間を集め、力を得る。しかしその力はコントロールが効かず、初期衝動とは別のベクトルへ向かい放たれる。それは大体が個人的な戦いや私利私欲を満たす犯罪として表現され、反体制という志はあくまで主人公達の中だけで完結してしまいます。

あれ、誰と戦うつもりだったんだっけ、みたいな感じです。

しかしそれらをスター俳優が演じてしまうのがまたタチが悪いです。
彼らはいとも簡単に自己完結をカッコよく演じてしまい、観るものはそれに魅了されてしまいます。
逆に言えばこれこそがアメリカンニューシネマが流行った要因とも取れるのですが。。。

そこでこの映画はどうかというと、そこがあまりカッコよく描かれていないのがとても良いです。

反体制を掲げ、労働組合を結成するビルこそはカリスマ性のある人間として描かれていてまぁそれなりにカッコいい。

デヴィッド・キャラダイン演じるビル

しかしそのビルも仲間を集め、力を得た途端に反体制活動とはとれない犯罪に手を染め始めます。

そして主人公のバーサはというと、ビルを愛してるという理由だけで行き過ぎたビルの活動を助ける。つまり彼女にはわかりやすく意思がない。彼女がホーボーとして生きているのがそれを象徴しています。

バーバラ・ハーシー演じる主人公のバーサ

そしてわかりやすいことに銃という”力”を手にしただけで、自らが強くなったと過信し、犯罪を楽しみだす。その様が実にうまく撮れていると思います。

彼女だけでなく、この物語の人物皆がいつのまにか反体制”ごっこ”をしていることに気付かされ、アメリカンニューシネマも広義には絵空事に変わりないと表明してしまっているように感じるのがこの映画の面白いところだと思います。

他の仲間としてレイクという男も同様に銃を手にし、少しの成功を体験しただけで人が変わったかのように自分の力を過信してしまいます。

死ぬときの捨て台詞がウルトラダサい、バリー・プリマス演じるレイク

そしてもう1人ボンという黒人。ボンはこの映画で意外と重要な役割をしています。それはまさにスコセッシのような俯瞰した目線を持つ人物としての役割です。ボンだけが常に変わらず、彼らが変わっていくのを見ている。

最後だけ謎にかっこつけて銃ぶっぱなしまくるバーニー・ケイシー演じるボン

彼らは強盗団を結成するのですが、それらのシーンはあまりにもあっさりと成功し、その成功でわかりやすく調子にのっていきます。
そして早々に彼らは失敗をします。その中でレイクは命を落とすのですが、その時の捨て台詞がまた絶妙にださくて最高なのでそこだけでも是非観てもらいたいです。

ここら辺はアメリカンニューシネマの構造をあえて早回しで撮っているようでとてもシニカルだなと感じる部分でした。
彼らは反体制を目指し自らの正義のために立ち上がるけれど、勝手に道を誤り、勝手に死んでいき、自分を勝手に悲劇の主役にしてしまいます。

そんなアメリカンニューシネマのもつ閉じた世界感をアメリカンニューシネマ方式で陳腐に見せるあたりがこの映画の面白いところだなと感じられます。

スコセッシ自身にそんな意図があったかはわからないけれど、そんな目線で見ると楽しめる作品でした。

ただストーリーや演出など基本全体的にかなり中身がないので、映画としてはなかなか面白く見れるものではないのが難点でした。予算がかかっていないだけあってほとんどのシーンで絵に華がありません。
ただ主演のバーバラ・ハーシーが可愛い。おっぱいもでてます。

この後にスコセッシが「タクシードライバー」で極限までうちに閉じた人間を描ききるというところがまた面白い。
これはスコセッシが極限までアメリカンニューシネマと向き合って導き出した一つの答えだと思います。

ぜひ併せて見てみてください。

ちなみに意外にも町山さんがこんなB級作品の解説をしています。

【町山智浩のアメリカ映画特電】マーティン・ スコセッシ監督初の商業用映画『明日に処刑を・・・』

それでは!!

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