「チワワちゃん」映画レビュー パンパンに詰まった空虚に目が離せなくなる

映画

最近映画にしても小説にしても
こりゃ一体どんな気持ちになれば良いんだろう
いったいこの作品を通して何を伝えたかったんだろう
という漠然とした思いに心が覆われる作品に出会うことが多い。

もちろん全ての表現物の中に、これを観たら、読んだらこういう気持ちになってほしい。とか
この作品にはこんなメッセージが込められている、という表現者の意図が必ずしもあるわけではないだろう。
でもやはり受け手としてはただ額面通りにそこに描かれる物語や文章を受け入れるだけではなんだか底が浅いような、そんな少しの罪悪感みたいなものを感じてしまう。

日本映画「チワワちゃん」はまさしくそんな映画だった。
いやそれだけでなく、いつのまにか観たこちらの心にしこりのように残り、へばりついて離れないような奇妙な感覚が残る不思議な映画だった。
なので今日はそんな「チワワちゃん」について書いてみようと思う。

「チワワちゃん」(2019年1月18日公開)
監督:二宮健
脚本:二宮健
原作:岡崎京子
出演:門脇麦、成田凌、寛一郎、玉城ティナ、吉田志織、村上虹郎

「チワワちゃん」は漫画家岡崎京子の同名漫画短編集を原作としている。
あらすじとしては東京のとあるミュージックバーで仲良くなった男女大学生グループにチワワちゃんと自らを呼ぶ可愛らしいけどおばかな女の子が仲間入りし、彼ら彼女らとチワワちゃんの短くも、華やかで刺激的な青春が描かれる、といった感じ。
しかし、仲間たちが次第に集まることがなくなったある日、チワワちゃんのバラバラになった遺体が東京湾から見つかったというニュースが流れる。
物語の主人公ミキはチワワちゃん事件の真相、そしておぼろげだった彼女への思い出を補完するかのように仲間たちに彼女についての情報を聞いて回る。
するとそこにはそれぞれが異なるチワワちゃん像を持っていることに気付く。
ミキだけでなく、仲間たちの多くがチワワちゃんについて、一体どんな人物だったのか、という確固たるイメージが無かった。

あらすじから見ると一見サスペンス的なテイストすら感じるが、実はこの映画最後の最後まで事件の真相は分からないし、当のチワワちゃんが一体どんな人間だったのかというのも断片的にしか描かれない。
その割になんだか思わせぶりな描写だったり、全く関係のない事件が突如物語を覆ったりして余計に真相は煙に巻かれていく。
観ていると一体どこに連れて行かれているのか分からなくなりながらも、こっちとしては真相が知りたいし、チワワちゃんが一体どんな人間だったかがますます気になる。

そんな具合に絶妙なバランスでこちらの観る集中力を途切れさせないばかりか、訳のわからぬ引力は物語が進むにつれてますます強くなっていく。
僕らが知りたいのは誰がチワワちゃんを殺したのか?なんで殺されたのか?そしてチワワちゃんは誰かに殺されてしまうような人物だったのか?いったいどんな人間だったのか?なのだ。
なのに、それにはいっさい答えてくれない。そこの部分はあくまで空っぽで空虚になっているのだ。
そうなるとこちらはもう気になって気になって、どうしても最後まで観てしまう。
あ、これ最後まで言わないやつだって分かっていても観てしまう。
最初にポンと話題を大きな謎を置いて、最後までその答えを見せずにひきづられていく。

そうして最後まで答えを教えてもらうことなく、この映画は終わってしまう。
二時間近い映画の中で描かれたのは、彼ら彼女ら仲良しパーティーグループの半狂乱な乱痴気騒ぎとチワワちゃんに関するかすかな思い出の断片だ。
映画としてその半狂乱な乱痴気騒ぎのシーンも水着の可愛い女の子たちが弾けていて可愛いしエロいしで最高。チワワちゃん単体のえっちなシーンもあってこちらも最高だ。あとアンニュイな門脇麦がレイぷされそうになるシーンも最高だ。
もちろん可愛い水着の女の子達だけが最高なわけではない。
社会人になるまえのモラトリアムな日々が眩しくも見えながら、そこにどうしようもなく横たわる空虚感というのはこんなに派手じゃないけれど自分の青春を重ねたりしてしまう。
そいう青春の楽しさの裏にある虚しさみたいなものもこの映画のすごく重要な部分だ。

「若者よ、君たちはなんでそんなにも楽しそうで、そして空虚なのか。」

思わずこの映画の彼ら彼女らに、そして若き自分にも問いかけてしまう。

この映画をみてすぐには分からなかったけれど、思い返してみて強く感じた印象としては
「空虚」である。
先に書いたように若者の持つ最高に眩しくて楽しい中にある空虚や虚しさ。
めちゃくちゃ楽しいけれど、その中身は何もなくて、空っぽだ。
お金で買える楽しみだけを消化して、他には何も残らない。
友達との絆が残りそうなものだけれど、彼ら彼女らの心の中には死んだチワワちゃんの記憶すら多くは残っていない。
遊びが何かに繋がったかと言われれば、特に何も残っていない。主人公のミキはモデル活動をしていたが、いまいち一歩踏み出せずにインスタグラム内の趣味だけで終わらせてしまう。
楽しさの中に実は空虚があって、彼ら彼女らはそれに薄々気付き、そしてそれに焦ってもいる。

そしてこの映画自体の作りも、実はとんでもなく空虚だ。
二時間弱何かを語っているかのように見えて、実際には何も大事なことは語ってくれていない。
事件の真相も、チワワちゃんが一体どんな人間なのかも、実は何一つ教えてくれなかった。
いったいこの映画、何が言いたかったんだ。残るのはそんな疑問だけだ。
しかし、観ている自分たちはその空虚を全力で楽しんでしまっていた。
もっとくれ!もっとくれ!と思いながらも、全部は言わないでとこの楽しみが終わりなく続くことを楽しんでいた。
極論を言うとこの映画の中でのチワワちゃんという人物の正体も、彼女が死んでしまう事件の真相も、実は全く重要ではない。
重要なのは「チワワちゃんという謎」であり続けることなのだ。彼女自身に意味があってはいけない、彼女はひたすらに謎で、空虚でなければいけない。
そこに誰もが熱中してしまうし、目を離せらられなくなるし、空虚を追い求めるのが楽しくてしょうがないのだ。
青春時代のようにただひたすらに楽しみながらも、この楽しみに何も意味がないこと、永遠に満たされないこと、それを分かっていながらもやめられない、そんなあの時の気持ちをそっくりそのまま、この映画を見ていると感じられてしまう。

若い時の思い出話を友人とすると、決まって誰かが
「若い時のあの楽しさって、なんだったんだろうな」
って話をする。大事なのはその なんだったんだろう である。きっとそれがなんだったかのか、正体は一生分からないだろう。
逆に言えばなんだか分からないから楽しかった。その楽しさの正体を掴めそうで掴めない状態が楽しかったのだ。
餌を目の前につけられて一生追い続ける犬のように、ただ目の前の楽しさの正体を追い求めているアドレナリン自体が、その楽しさの正体だったんだと思う。
「チワワちゃん」はそんな空虚というアドレナリンを思い出させてくれる映画だ。

思い出していいもんなんだかどうかは分からないけれど。

でも、決して空っぽだから悪いと言いたいわけではない。
むしろ逆にここまで中身が無い映画を意図的(かどうかは全く分からないけれど)に作れるのはとんでもなくすごいことだと思う。餌が何にも無い中で大漁を成している。

空っぽだからこそ無限に解釈が広がるし、そこにいろんな人のいろんな想いが詰められる。
人によってはチワワちゃんみたいな娘って確かにいたよね、あの娘今何やってるんだろうっていうあるある話かも知れない。
主人公グループの曖昧な付き合い方が今の社会を反映しているという深い分析もするかもしれないし。
SNS時代を切り取った考現学的な作品という見方もできるかもしれない。

とにもかくにも自分はこの作品から「空虚」とイメージを強く感じ取った。
いや、悪口に聞こえそうだから「空虚なのにめちゃくちゃに面白い」と言っておく。
こんな映画はなかなか無い、空っぽな中身をなんとしてでも観たいと思って、最後まで、終わりが惜しくなるくらいに観てしまったんだから。

はい、そんなわけで「チワワちゃん」は「空虚」がパンパンに詰まった素晴らしい映画でした。
本当にいろんな解釈ができる映画だと思うし、何よりも最後まで見てしまう不思議な引力がある映画なのでたくさんの人に楽しんでもらえる映画だと思います。

個人的にはこの映画で「空虚」と同じくらい「マクガフィン」という映画的スラングを強く感じましたので気になる方は「マクガフィン」も調べてみてください。
きっとチワワちゃんはこの映画における「マクガフィン」だったのだ。そうに違いない。

ちゅうわけで今日はサクッとこんなところで、関連作品としては映画じゃないけれど
岡村靖幸さらにライムスターの「マクガフィン」をオススメしておきたいです。
歌詞をちゃーんと聞いてみるときっと「チワワちゃん」を思い出すはず。

岡村靖幸さらにライムスター「マクガフィン」

では!!

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