「コンプレックス文化論」コンプレックスを引きづって生きていく

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実はこの私、この二月の末日で現在勤めている会社を退職する運びとなった。
去年の末くらいから会社ですれ違う人々に
「いやぁ、実は2月いっぱいでたいしょくすることになったんですよぉ、てへへ」
なんて報告するとほぼ100%
「ええ、まじで!!何で?理由は?次決まってるの?転職?」なんて聞かれる。

別にそれが嫌なわけでもないし、自分もそんなこと言われたら絶対に同じように聞き返しちゃうと思うんだけれど、まぁ〜ざっくり言うと本当に今後のこと決まっていないので正直これに関してはなんて答えれば良いかわからなかった。
基本的には「いやぁ、いったんのんびりしようとおもいますぅ」みたいなぬるぅい返答ばかりしていたけれど、一応は少しだけ考えていることもある。
でもこの「仕事やめちゃったこと」に関してはいつかじっくり書きたいなと思っておりますのでここでは割愛。

せっかく仕事も辞めて、今後の道も何も決まっているわけではく結構な不安もあるわけだけれど、でもこの状況って自分がずっと求めていた「コンテンツ吸収し放題」な期間なわけだ。
そしてこのブログも「もっと更新しなきゃもっと更新しなきゃ」なんて言っておきながら結局は月に一回書くか書かないかくらいの更新頻度だったので、もうこりゃ今後自分が消化したコンテンツに関して全部書いていこうって気概で今現在かなりやる気満々。
明日には気持ち折れてるかもしれないけど今はかなりやる気満々。

そんなこんなでもう映画やら本やら音楽やら、果ては友達とこんなこと話しましたぁとか、今日はこんな天気でしたぁとか、道歩いてたらこんな変な虫見ましたぁとか、とにかくなんでもかんでも書いてみようと思います。

はい、で今日はですね、急ですがね、友達から武田砂鉄さんの「コンプレックス文化論」を紹介されたのでとりあえずそのこと書こうと思います。

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人それぞれコンプレックスはある。はたから見たらイケメン、はたから見たら超可愛い、そんな容姿の彼や彼女にだってきっと人見知りが半端なかったり、なぜだか夜になると手がめっちゃ臭くなるみたいなコンプレックスがきっとあるはずだ。

もちろんこの本は夜になると手がめっちゃ臭くなるような色物なコンプレックスを扱っているわけではなく、世間一般でよく耳にする一般的なもの、例えば

・天然パーマ
・下戸(酒が飲めない)
・実家暮らし
・背が小さい
・ハゲ

などなど。
最初にこの本を紹介された時は
「ありの~ままのぉ~笑顔見せるのよぉ~」と歌うアナかエルザよろしく、コンプレックスなんか気にせずにありのままの自分をさらけだして!!自分に自信を持って生きていこうよ!!とりま踊ろうよ!!
みたいな本かと思っていた(アナ雪は見ていないのでこんな内容なのかは不明。)
まぁつまりは所謂エンパワーメント物(元気、勇気を与えてくれるもの)なのかと思っていた。

でもでも、やっぱりそこは武田砂鉄先生(正直武田さんのことはあんまり知らないけど、多分そこいらのコメンテーターとは一線を画す優れた人文学者的な人なはずだ。)、そんなありきたりなことは書いてくれていない。
簡単に言えばありのままでいられないからこそのコンプレックスな訳で、それがあるからこそ自分に自信が持てねーんだよ(ドンっ!!)という部分を、すごく深く、且つ読み物としても面白く読めるようにパッケージしてくれている。

だっていくら「明日からありのままで生きていこう!!」って思って朝鏡を見たらどうしようないくらいにハゲてたり、電車で隣にいるやつが背が高いだけでやたら仕事できそうに見えたりカッコよく見えちゃったらやっぱり次の駅で降りて引き返しちゃうわけだ。
コンプレックスってのはそんな精神論だけでどうにかなるもんじゃないのだ。

ちなみに自分のコンプレックスは
・背が低い
・ハゲ

だと思っている。
この本では上記のうち2つのコンプレックス、「背が低い」「ハゲ」が取り扱われている。
正直「コンプレックス」だなんてもので括られることすら面倒くさい。

コンプレックスはなんですか?と聞かれて「背が小さいこと」と「ハゲ」ていることです。
だなんて言うと途端に相手はそれに気を遣ってしまうだろう。
「え~でも知人には背が低い人が好きな女性もいますよぉ!!」
「そんなにハゲてないじゃないですか!!もっとハゲている同年代の人、私、知ってますぅ!!」

そんな額に汗かくフォローをされると、こちらの広がった額にも汗が溢れてしまう。

コンプレックスは何か?と聞かれればこちらはもちろん「背が低い」「ハゲ」を挙げるが、でも、そんなに必死にフォローしてもらうほど気にしてはいない。
え、でもそれじゃコンプレックスじゃないじゃん!!と言われると
いやいや、こちらだってそれなりに悩んでますよ!!と返したくなる。
そもそもそんな白黒つけられるもんじゃないからこちらは困ってる部分もあるわけで、
「いやいや、コンプレックスってのは意外に深いもんで、そもそも気にしているとかそういうわけじゃないわk…」
なんて話し始めるとそれはそれで
うわぁこの人めんどうくさ
となりそうなもんである。

コンプレックスは一度気にし出すと最後、未来永劫とらわれ続ける。
しかも周りもいろんなアプローチでそれに触れようとしてくる(慰める、逆にいじる等々)、あるいは気づかない演技をしてくる。その演技にもこちらは少なからず苦しむ。
そうなるとなんとなくこちらから「いやぁ、私実は結構ハゲておりまして」なんて言わないと気を遣わせるんじゃないかと思ったりもしてしまう。

触れては地獄、触れなくともまた地獄。
まさに開けてはならないパンドラの箱なのである。

しかもいざ開けてみると、その実、大したもんじゃないのに異常に重かったり、一応持って帰らないといけないのに異常なほど長かったりと、ランク的には大したお宝じゃないのに容易に持ち運べない面倒くささがある。
自分だけ気にするなら良いもんだが、まわりの人にだってそれなりに気を遣わせる。

じゃあ一体全体コンプレックスってのはどうすれば良いんだ!!ということになる。
そうなったらぜひこの本を読んで見てもらいたい。
この本を読んで感じたのはコンプレックスは「解消」するもんでも、はたまた「ありのままの私!!」なんて開き直るもんでもない。
きっとコンプレックスてのは「引きづっていくもの」なのだ。
あるいは「飼いならすもの」なのだ。
(読んで感じたというよりは本のあとがきで武田さんがそのまんまこのように語っていました。)

この「引きづる」ってのがね、すごい自分にはスンと腹に落ちた部分で、まぁやっぱり数あるコンプレックスの中でも「背が小さい」「ハゲ」はね、やっぱり結構根強い部分で。
もしかしたらお金を払えば多少はどうにかなるかもしれない部分はあるんだけれど、やっぱり自分はこの二つをひきづってこの先の人生生きていきたいなと思ったのだった。

「背が低い」「ハゲ」は自分の中では、確かに気にしている部分ではある。
あと数センチ背が高ければモテたなぁとか、もっと前髪があればあんな髪型にできて、最終的には、まぁ、モテたなぁと思ったりもする。

でも、そのマイナスな部分を補完するために自分は他の奴らよりはたくさん考えて生きてきたとも思う。
小さくてもカッコよく見えるには、いや逆に小さいからこそカッコよく見える生き方ってどんなもんだろうと考えた。
ハゲててもカッコよく見える、ハゲてるからこそカッコよく見える髪型って、生き方ってどんなもんだろうと考えた。
まだまだ考えるだけでその考えを自分が具現化できていないところもあって、力不足を感じるけれど、その褒美にたまに「お前という存在が、なんか良い」と言ってもらえるときもある。(なんか良いってなんやねん)

そんな時、必死に考え続けてよかったと思う。
まさに自分の後ろに引きづったコンプレックスが、引きづり続けていろんなものに磨き上げられた結果、得体の知れない謎の輝きを放ち出しているのかもしれないと思えた。

でも、誰もがお前みたいに無駄に前向きじゃねーよ!!
どう頑張ったってハゲもチビもなおるわけじゃねーだろ!!
きっとそう思う人だっているだろう。
そういう時は自分の周りにいる同じコンプレックスを持ったかっこいいやつらを研究すると良いかもしれない。

具体名をあげよう。
個人的にはチビでもかっこいいってやつは
海外ドラマ「ゲームオブスローンズ」の小鬼(インプ)ことティリオン・ラニスター

生まれながらにして小人症のティリオン・ラニスター(ピーター・ディンクレイジ演)

生まれながらに小人症(ドワーフ)の男だが、高貴な生まれというもう一つの出自の特異点を活かす。
毒舌で、性格がねじ曲がったティリオン。国民からの人気は驚くほど低いが、そんなことはいざ知らず、持ち前の思考力と先見の明で腕っぷしでは叶わないやつらに強気で立ち向かって行く。

彼の性格のねじ曲がりっぷりは明らかに自分の身体的特徴から生じたものであり、それにもかかわらず周囲に媚びない悪態とキラリと光る知恵はまさしく彼がコンプレックスを引きづりながらも、腐らずに自分だけの生き抜く道を探し続けたからこそ身につけたものだろう。
小さいからこそ、醜いからこそ、ねじ曲がってるからこそ、その内に秘めた実力が何倍にも見えて輝いて見える。ティリオン・ラニスターはそんな男だ。

一方、ハゲててもかっこいいってやつは俳優のスティーブ・ブシェーミ

ハゲ、ギョロ目、出っ歯という三拍子を持って生まれた個性派俳優スティーブ・ブシェーミ

ハゲ、ギョロ目、出っ歯という驚くくらいに特徴的な顔面のブシェーミは、その変わった顔面を活かした一癖も二癖もある役柄が多い。大抵は途中で驚くくらい面白い死に方をするけれどその散り方すら脳裏に刻まれるまさに世紀の個性派俳優。
彼はパッと見た感じではお世辞にもかっこいいとは言い難い。
でも彼が劇中で演じる役の中にかっこよさが生まれ、ハゲてても、こう振る舞えばなんか、かっこよく見えそう!!と思えてくるのだ。
きっとブシェーミでしか演じられない癖のある役柄がいろんな人の生き方を変えてくれるはずだ。

というわけで、悩んでいるコンプレックスがあったら自分の周りにいる似たコンプレックスを持つ人物を研究すると良いかもしれない。
でもそうして見つけてきた人々を必ずしも真似する必要はない。そうした人々を見て、自分にでしかできない生き方、自分だからこそカッコよく見える生き方を見つけていけばいいのだと思う。

この本にも書いてあったけれど、
何かの条件に届かない人間は、早々に自分なりの選択肢を探し始める
とのこと。本当にその通りだ、正直言葉にされて初めて気がついたけれどその通りだと本当に思う。
ここで言う「何かの条件に届かない人間」はコンプレックスを持つ人間と置き換えても良いだろう。
そうやって彼ら彼女らは自分なりの選択肢を探し始める。つまりは自分なりの生き方を探し始めるのだ。

だからきっと明日の朝起きたら自分の前にコンプレックス直し神みたいなのが現れて
「ふぉっほっほ、今日からお前を身長180cm、髪の毛フサフサ人間に生まれ変わらせてやろう」
と言われても、自分はその神様みたいなのをぶん殴っておとといきやがれとツバをぶっかけてやるだろう。

本当の目覚めが来て、鏡を見て
「うわぁ、あいつの言ってたフルコース、、やってもらえば良かったぁ…」
と少し後悔する可能性もあるにはあるが、それでも自分は自分なりの選択肢を考え続け、自分だからこそ似合う人生を歩んでいきたい。

コンプレックスとは言わば人とは違う異形のもので、引きづってきたものが異形であればあるほど、きっとその足跡も自分独自のものなるはずだ。
コンプレックスは、自分にしか持ち得ない美学に昇華する可能性がある。

そう、きっとそうなのだ。

そんな感じで、武田砂鉄さんの「コンプレックス文化論」は最終的にめっちゃエンパワーメントされる面白い本でした。最終的にね、アナ雪ばりにエンパワーメントされるわけです!!
でも短絡的に「ありのままで!!」なんて言わずに、まずは深く、ふかーくコンプレックスに対して考え続ける、向き合うことがきっと大事なはずだ。

おおまかに言うと、そんなことを書いた本だと、おそらく、そう思う。

この本の中に出てきたセックス・ピストルズのボーカリストであるジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)の自伝「Still a Punk」も、「背の低い人」のモデルロールになりそう。
まだ読んでないけど、毒舌で、性格のねじ曲がった、負けてもただでは負けない男の生き様が描かれていそうなのでぜひとも読んでみたい。

今日は、そんなところでー

では!!

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