「デス・ウィッシュ」映画レビュー(ネタバレ)映画が自分に近づく瞬間、自分が映画に入り込む瞬間

映画
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古今東西、世界では今日も何百本、何千本という映画が上映されている。

言うまでもなく、その映画全てが見る人すべての心を掴むわけではない。
つまりは、面白い映画もあればつまらない映画もある。
誰かが面白いと言った映画を、誰かが全然面白くないと言うこともあるし、逆もまた然りだ。

当たり前すぎて書いていて恥ずかしくなったが、日々映画を見て、本を読む中で
受け取るだけではあんまり意味がないような気がして、申し訳ない気がして、とりあえずなんかしら形にして吐き出してみようと思って始めたのがこのブログだ。

しかし、見たものすべてに感想を述べたり、そこに込められた意図を読み取ろうとするのは案外難しいし、そこを自分だけの言葉で語るのはさらに難しい。
こと、見たもの読んだものに対して特になんの感想を抱けなかったりするとマジで辛い。
というよりこの世の中で掃いて捨てるほどあるコンテンツには多かれ少なかれ本当にこれといった感情が沸き立たないものもある。
というか大体そんなもんではないだろうかとすら思う。

それでも私はキーボードを叩き続けることにした。
カタカタ叩くことにきっと何かしら、一ミリくらいは意味があると信じているからだ。
そうやって書き続けることで、どんなものにも自分なりの意味を見出せるようになるはずだと信じているからだ。
まがいなりにも、何かを表現し続けたいと思っている。

というわけでお察しの通り、今日は見たはものの本当に感想なんて思い浮かばなかったものに、無理やりにも自分なりの答えを導き出す、そんな内容になっている。

そしてその題材が「デス・ウィッシュ」

「デス・ウィッシュ」
監督:イーライ・ロス
脚本:ジョー・カーナハン
原作:ブライアン・ガーフィールド「狼よさらば」
出演:ブルース・ウィルス、ヴィンセント・ドノフリオ、エリザベス・シュー

あらすじ
外科医として働くポール・カージー(ブルース・ウィルス)には美人の妻と大学に進学する可愛い娘がいた。家族は仲が良く、経済的にも恵まれている、周囲から見ればまさに理想の家族であった。
しかしそんな家族をある悲劇が襲う。カージーが夜勤中に家は強盗に襲われる。
結果として妻は殺害され、娘は意識不明の重体に。
悲しみにくれるカージーだったが、全米でトップの犯罪率を許すシカゴ警察に全てを任すことに疑問を覚え、自らで街を守る自警団となる。
町にはびこる悪、そして家族を殺した犯人を処刑するためダークヒーローへと生まれ変わったカージーの復讐劇が始まる。

リメイク作品としての「デス・ウィッシュ」

これから書くことに特に関係はしないが、この映画の背景をまず話しておきたい。
この映画は1974年にチャールズ・ブロンソンが主演で作成された「狼よさらば」のリメイクである。
当時のこの映画には自警団となった彼のあまりのあばれっぷりに賛否両論が巻き起こったらしい。
要は正義を免罪符にすればなんでも許されるのか、といったところだろう。
ある種社会に対して問題を投げかけるような映画だったようだ。

じゃあ今作はどうなんだというと、基本的にはそんなテーマ性は感じられない。
今回は極めて小さな物語だし、立ち向かう悪の数も数える程である。
どちらかというと、穏やかな外科医であるブルース・ウィルスがある種狂気に満ちた正義に変貌し、ド派手では無いがリアリティのあるアクションというのがこの作品の見所だろう。
アップロードされた点としては現代性を取り入れ、犯人との戦いのシーンがYoutubeやSNS上に上がったりするところだろう。でもここの部分もそこまで主題には入ってこない。

「問い」を立てることの重要性

取り立てて感想も無い映画というものはたくさんあるだろう。
どうだった?と聞かれて、「んー、普通!」と答えたことはきっと誰にだってあるだろう。

正直言うとこの「デス・ウィッシュ」に関して感想を求められたら出てくる答えは一つしかない

んー、普通!!

それだけだ。だけどそれだけで終わらせるのはもったいない。
二時間近くあるこの映画に自分の人生の一部をつぎ込んだのだ。何か少しくらい意見を言わないんだったらそれはもはや思考停止だ。

考えすぎじゃない?とか、映画ってそんなもんじゃん?

とよく言われる
そんなふざけたやつには平手打ちをお見舞いしてやればいい
泣くまでやめないくらいに平手打ちをしてやればいい。

だがしかし、泣きながら「じゃあお前はどう思ったんだよ!」と返されても
「俺だって特に何も思わなかったよ!!」と逆ギレするしか思い浮かばなかったのが今作だ。
別に「デス・ウィッシュ」が問題なわけではない、先に書いているように感想が特にない映画なんて世の中いくらでもある。

それでも、自分の人生を少しでも無駄にしたくないと思うのなら、答えは一つ。

考える

それだけだ。頭をフル回転させ言葉を絞り出す他ない。
でも考えるための一歩も踏み出せないときもある。
そんなときは頭の中に「問い」を浮かべよう。
「なんで特に感想がないのだろう」「なんで感情が揺り動かされなかったのだろう」
そうやって問い続けることで、少しだけ答えが見えてくる。

自分からは遠すぎる世界

なんだかたいそうなことを書きそうだけれど期待しないでほしい。
けれども特になんとも感想のなかったこの映画について思いを巡らせた、その軌跡を今日は見てもらいたい。
今日は大胆にも自分との対話編でお送りしたい。

それではどうぞ。

Q.なぜこの映画に対して特にこれといった感想がなかったのか?
A.自分が特に見所だと思う場面があまりなかったから。

Q.じゃあ客観的に見てこの映画の見所はどこだったのか?
A.強いて見所をあげるとすれば、やっぱりリアリティのあるアクション、スプラッター&ホラー描写(監督のイーライ・ロスは「ホステル」の監督であり、スプラッター&ホラーの監督として知られている。)あとはまぁラストのシーンはなかなかいい切れ味だった。
それでも上にあげた諸々の描写もすごく良くできている訳ではなく、どれも中途半端に散りばめられた感じだった。

Q.なぜ、どんなところに見所がないのかと感じたのか?
A.あまりにも自分とかけ離れすぎている世界観だからではないだろうか。
まず自分には嫁も娘もいないので、ブルースウィルスが自警団となり自ら街に繰り出す理由があまり理解できない。
きっとここで自分が好きになる映画だったらきっと共感できる動機付けをしっかりしてくれるはずだ。
これだとあまりに遠い場所の、全く違う価値観の人たちの話になってしまっていて、少し置いていかれてしまう気がするのだ。
もう少し自分事として映画に入って行きたかった。

Q.この映画でのブルース・ウィルスが自警団になる理由づけは何だったのか?
A.もちろん妻が殺され娘が意識不明になったことへの復讐は言わずもがなだけれど、それにしてはブルース・ウィルスがあまりにも寡黙すぎるし、あまりにも感情がこちらに伝わってこない
周りには気丈に振る舞いつつも家ではマジで号泣。くらいは見せてくれても良かったのにと思ってしまう。
映画的には、これは原作にもあるかもしれないがシカゴ警察の頼りなさに奮起したというのは一応しっかりと描かれている。でもこの頼りなさを伝えるシーンももう少しわかりやすくして欲しかった。

Q.理由づけはそれだけ?
A.そう言われるともう一つあった。
妻の葬式に妻の故郷であるテキサスに行った際に、車で義理の父(妻の父)に送ってもらっていると突然義理の父が車を農地に車ごと走り入れ急ブレーキ。
何をするかと思ったら何故か車に用意しているライフル片手に車を飛び出し、そこにいた密猟者たちに向かって躊躇なくライフルをぶっ放すシーンだ。
このシーンでブルース・ウィルスが
「この親父マジでめちゃくちゃなことするやん…」とちょっと引き気味になりながらも
「自分の身は自分で守らないとな」と平然と言ってのける姿に、おそらく正義の目覚め、自警の目覚めがあった。
今思い起こすとあのシーンは結構良かった。多くは語らないけれど叙情的なところが良い。
こんなシーンがもう少し多く、あるいは象徴的に描かれていればきっと見ている側ももう少しこの映画に近づけたのに、入り込めたのにと思う。

とまぁ、こんな具合に問いを繰り返す事で、少しだけ立体的に、少しだけ深く映画を語れるようになった気がする。

少しの問いだったが見えてきたのは
・自分と映画との距離が遠い、もっと近づいて、入り込めたら良かった
・そのためにはキャラクターの内面とか、何に怒りを覚えているか、何に戸惑いを覚えているのかをしっかり見せて欲しかった。
・義理の父の密猟者を躊躇なく撃つところは良かった、この後にブルース・ウィルス悪人を倒すシーンではきっと彼の頭の中で、あの義理の父の姿がフラッシュバックするんだろうと感覚的に分かる。そうすると映画に自分が近づいた感じがする。

こんなところだろうか。
まぁここまできてありきたりなことは言いたくないけれど
「デス・ウィッシュ」はちょっと感情移入ができにくい映画だったと思う。
基本的に自分の家族が強盗に襲われることはないし、仮に襲われても自らの手でその強盗犯に復讐するという展開は少し現実味が無い。

ただ、現実味がないのなんて映画では当たり前だ。
それでもその現実味のない世界にだって自分が入り込める余地はあるはずだし、入り込ませてくれるのが良い映画だと思う。
もちろん良い映画の基準はそれだけではないけれど。

例えばマーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」を参考にしたい。

タクシードライバーTaxi Driver 1976

タクシー・ドライバーは落ちこぼれの主人公トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)が孤独さの故に世間を騒がせる常軌を逸した行動をとってしまう。

その行動自体は普通の人間にとってはあり得ないが、トラヴィスという人間を細かく描くことで、彼が「自分は何者でもないが落ちこぼれだが、いずれ何かを成し遂げる人間だ」と深く思い込み、その感情が爆発してしまうことで常軌を逸した行動をとる一旦を見せている。
スコセッシが言いたいのは、きっと誰にだってトラヴィスのようなある種卑屈で、根拠のない自信を持っている部分があるということだろう。
そんな人間がいくとこまでいくと、確かにこんなことしちゃうかもとヒリヒリと身に積まされる思いが「タクシー・ドライバー」にはあるのだ。
狂人に見えて、どこか共感してしまうのが主人公トラヴィスだ。

あ、自分もこういうとこあるかも。
と、たとえ1%でも思わせたら勝ちかもしれない、そこで映画と自分の距離がグッと近づくのではないかと自分は思っている。

「デス・ウィッシュ」に戻ろう。
家族を大事に思う気持ちや、街の悪を許せない気持ちは自分にだってある。誰にだってあるだろう。
でもその気持ちを、この映画では誰にも託せなかったのがなんとも残念な点だ。
もっと自分の気持ちを託せる仕草やセリフ、シーンがあればもっと映画に入り込めたかもしれない。

例えば現実から乖離の大きいこの映画なら、死んだ奥さんとの出会いの回想シーンを挿入するなどだ。
あえてそれが本当に誰もが体験するであろう共感性の高いベッタベタなストーリーであればあるほど、ブルース・ウィルスが決して超人おじさんではなく自分と何ら変わらない普通の人間なんだ、そして彼はその妻を失ったんだ、なんて悲しいんだ、と思える。
そうすれば彼が憎しみの自警団となっていくのもスッと理解できたかもしれない。

ここでももう一本、デビッド・フィンチャー監督の「セブン」を参考にしよう

映画「セブン」日本版劇場予告

「セブン」では殺されてしまう奥さんをグィネス・パルトローが演じている。
彼女の演技の素晴らしさとキャラクターの設定、旦那であるブラピやモーガン・フリーマンとの関係性の描き方がうまくできているので、奥さんが死んでしまった時のショックはまさに自分に起こった悲劇のように胸に刺さるのだ。

ラストは最高

他の映画を引き合いに出してまでに「デス・ウィッシュ」をボロクソに言いたいか
というような感じになってしまったけど、この映画
実はラストはとても良い。

どんなラストかは個人的にかなり大きなネタバレになると思うので(ストーリーとはそこまで関係ないんだけど)詳しくは書けない。
最後にブルース・ウィルスが敵の大ボスと一騎打ちになる。そのシーンでのある仕掛け、これがなかなかどうして味わい深いものになっているので是非見て確認してもらいたい。

すごーく遠くにいた映画が、最後の最後に自分の近くまできてくれたようでホッとする。
雲の上の存在だと思っていた人が見せる意外な庶民的な一瞬、みたいな感じでとても親近感が湧く仕掛けである。

個人的に、映画の結末部分だけ切り取ってどうこういうのは野暮だと思っている。
でも「デス・ウィッシュ」を見ると、終わりよければ意外に全部よかったように感じるもんだなとも思ってしまった。

これだから映画は面白い。

今日はとにかくひねり出す思いで書いてみたが、書いてみるとそれはそれで書きたいことが出てくるから不思議だ。
困った時にも、そうでない時にも一旦「問い」」を立て、考えを深くに持って行くのは大事なことかもしれない。

そんな事に気づかせてくれた「デス・ウィッシュ」に感謝だ、ありがとう。

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では

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