「8 1/2」謎のめがね軍団現る

エッセイ

フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」を観た。
1963年製作のイタリア・フランスの合作映画。

読み方はハッカニブンノイチ。ハチとニブンノイチではない。
日本では昔、ハチとニブンノイチの「と」の部分を「か」と読んでいた時代があったらしい。
だから、ハッカニブンノイチ。

何で「と」が「か」に変わったのだろうか。
1文字なんだからわざわざ変えなくても良いじゃんと思うかもしれないけれど、まぁどういうわけだか変わったみたいです。

確かに「と」だとセット感が出るけれど、「か」だと
「先生、なんで「か」なんですか?」
なんて言ってくる小学生とかもいそうだしだ。
そうなると先生の方も先生の方も
「いや、それは…まぁ…いろいろあってだな。まぁ…」
と困る事は容易に想像できる
最終的に困り果てた先生が生徒をぶん殴るという不条理が起きるたりする事はもはや自明なので、やっぱり「と」に落ち着いて良かったのだろう。

無駄話は置いておいてフェリー二の「8 1/2」だ。
タイトルの由来はフェリー二が作った長編映画が6本、短編映画が2本、共同監督が1本。短編映画と共同監督を0.5本と考えるとこの作品でちょうど8と1/2本目になるから「8 1/2」らしい。

じゃあ一本目のタイトルは「1」なんですか?というと「寄席の脚光」というタイトルだ。
なんやねん。という感じかもしれないけれど、簡単にいうと「8 1/2」は物語というよりは完全に監督フェリー二自身の内的な話で、ある種エッセイ的なお話ですよ…という意味が込められているらしい。
うーん、なるほど。
この映画の主人公は映画監督で、作品作りに悩みまくっているという設定だ。
どうやら当時のフェリー二もなかなか良い映画が作れなくて悩んでいたらしい。
今や代表作となっている「道」も当時は批評家達にめためたに叩かれ、この映画にも主人公の映画のテーマ性を批判するキャラクターが出てきている。
フェリー二を知れば知るほどこの映画がいかにエッセイ的な映画なのかが分かってくる。

内容は各々観て楽しんでくださいという感じなのだけれど、なかなか変わった映画で、なかなかの支離滅裂っぷりなので軽い気持ちで見てしまうとウトウトしてしまうかもだ。

ところでこの映画、名だたる映画監督がこの映画にとても影響を受けているらしい。
例えばテリー・ギリアムは「未来世紀ブラジル」の夢と現実が入り乱れる構成を参考にしていたり、ウディ・アレンのエッセイ的な映画の作り方などなんかも多分に影響されている。
個人的に一番ピピーン!!ときたのがティム・バートン監督の「ビッグフィッシュ」だ。

自分はあまりファンタジーは好きではないけれどこの「ビッグフィッシュ」はとても良い映画だと思っている。
映像だからこそ表現できるマジックに魅了されるし、話作りのうまさが絶妙だ。
そんな「ビッグフィッシュ」と「8 1/2」の類似点はどこか、というとラストシーン。

二つの映画はどちらもラストに劇中で語れてきた一風変わった人々が勢揃いするシーンがある。
2時間近く散りばめられた物語の点と点が一気に線になってつながるという素晴らしいシーンだ。
夢か幻か、少しだけ曖昧なところもまた良い。

そんなこんなで
「はぁー「8 1/2」、ちょっと意味わかんないけど最後はなかなか良かったなー」
なんて思っていたら自分の脳内にも、自分の人生で出会った人々が次々と集まってくるイメージが浮かんだ。
お世話になった人、愛し合った彼女、切磋琢磨した友人…

なら良かったのだが、脳内に集結したのは全員メガネをかけているやつらばかりだ。
なんでだろうか。おそらくこの映画の主人公がメガネをかけていて、観ている途中「このメガネかっこいいな…」と思っていたからだと思う。

望んでもいないのに、一度思い浮かびだすと止まらない。
謎のメガネ軍団は次から次へとメガネなやつらを呼んでくる。
「おい、お前とお前は知り合いでもないし顔も知らないはずだろ」
メガネ達はそんなこと全く意に介さない。無限増殖するメガネ集団。
何故だか楽しそうに肩を組むメガネ軍団。
頭の中で謎のメガネ祭りが狂乱を始める。
こんなやつらが繋がって線になるのなんて全然見たくない。
「8 1/2」のラストシーンよろしく、メガネ軍団は手を取り合い話になって踊る大団円を成す。
彼らのメガネのレンズの輝きが奇妙なまばゆさを放つ…

今日は本を読んでても、こうしてブログを書いててもそんなメガネ軍団の大団円がちらつく1日でした。

いやー、映画って本当にいいものですね。

では!!

P.S.
映画はたくさん見るのでこんな具合に映画日誌始めました。
「違和感マガジン」もいつかは更新するよ!!
ばぁい!!

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