古代ギリシャ人によると、人間には4本の手足と2つの顔があった。
彼らは幸福で、完璧だった。
あまりに完璧すぎるので神は人間の力を恐れ、体を2つに引き裂いた。
半身を失った人間は地上をさまよい、片割れを永遠に求める。
思い焦がれ、探し続ける。
自分の半身に出会うと、本能で分かる。再び一つになる。
そしてこ以上の幸せはないと、確信する。
こちらNETFLIXオリジナル映画「ハーフ・オブ・イット」の冒頭で挿入されるギリシャ人の古い言い伝え。
なるほどよくできたお話。たしかに愛とか運命ってこんなものなのかもしれない。
でもこの映画、最後まで見ていると
「んなわけねーだろぉぉ!!」
と、思わずちゃぶ台を返したくなってしまう。
というわけで今日はそんな「ハーフ・オブ・イット」についてです。
「ハーフ・オブ・イット」(2020年NETFLIXオリジナル)
監督:アリス・ウー
脚本:アリス・ウー
出演:リーア・ルイス、ダニエル・ディーマー、アレクシス・レミール、キャサリン・カーティン
複雑すぎる三角関係
この映画は思春期の男女3人による複雑すぎるラブストーリー。
主人公のエリー・チュウ(リーア・ルイス)はアメリカに住む中国人の女の子。彼女が暮らす街にはアジア人は一人もいない。家も裕福ではなく、父親は毎晩静かに映画を見る映画オタク。
しかしチュウは勉強ができ、特に文才に秀でている文学少女。
彼女はその才能を活かし他の生徒のレポート代筆業で粛々とお金を稼いでいる。

そんな彼女の噂を聞きつけた弱小アメフト部の体育会系男子のポール・マンスキー(ダニエル・ディーマー)は、彼の意中の女の子アスター・フローレス(アレクシス・レミール)にへのラブレター代筆をチュウに依頼する。

お金に困ったチュウは渋々依頼を受けるが、実はターゲットのアスターもチュウに負けず劣らずの文学少女。
チュウが引用した文章をあっさりと見抜くが、学校で初めて文学や芸術の話ができるポール、というよりポールからのラブレターに好意を寄せ始める。

だがしかし、、、この映画の副題通り複雑なのはここから。
実はチュウは同性であるアスターが昔から好きで、そんでもって次第にポールがチュウを好きになっていく。
友情、恋心、性別、文学に芸術、ついでに映画やアメフトにソーセージ(!?)まで、多様すぎる要素が絡まり合う3人の物語がこの「ハーフ・オブ・イット」。
理性のチュウと直感のポール
主人公のチュウは高校生とは思えないほど理性的で大人びた女の子。
ポールから頼まれたラブレターもアスターの好みを分析し、的確で詩的な文でアスターの気を惹く。
オスカーワイルドの詩を引用したり、青春映画のラストで別れ際の電車を追いかける本能丸出しの男なんて大っ嫌い。チュウはそんな女の子だ。
対するポールは素直で子供っけがめちゃくちゃ残ってる直感で生きる男の子。
ただただ純粋にアスターが好きで送るメールは絵文字だらけ、オスカーワイルドのオの字も知らない。
青春映画のラストでは絶対に走って電車をおっかけちゃうタイプの男の子だ。
そんな理性と直感を形にしたような2人はまさに正反対。
自分の気も知らずに粘っこく代筆を頼み続けるポールを「しょうもないやつ」なんて思っていたチュウだったが、実はこのポールがなかなか見所のある男。
ポールは学も無くて、品もない。でも彼はアスターの好みの本を寝落ちしながらも読もうと努力していた。
学校一の美女アスターに比べてポールはさえないホットドッグ屋の息子。顔もイケメンではないし、アメフトだってパッとしない。
それでもポールはひたむきに努力する。ただただ自分が正しいと思った方向に向かって一直線に走り続ける。
なんとかアスターと初デートまでこぎつけたポールだったけれど結果は散々。
チュウはポールに
「最初から無理だったんだよ。何で諦めないの?」
と、きつい言葉を浴びせる。するとポールは平然とした顔で返す。
誰かのために努力するのが愛だろ?
チュウは返す言葉がない。
名だたる文豪ですら悩み、婉曲し、甘い言葉で煙に巻いてきた愛の真理。
それをこのポールという子供じみた男は、恥ずかしげも無く平気な顔で言ってのける。
ポールを助けていたチュウの理性的な思考に、ポールの直感が少しずつ入り込んでくる。
考えても考えても答えの出ないであろう問いに、ポールの直感がひらめきを与える。
理性と直感が少しずつ融和していく。
「大胆な筆遣い」
ポールが恋し、そして密かにチュウも恋しているアスターは少し前まで絵を描いていた。
しかし彼女は絵の教師に言われた一言にどうしても怯えていた。
“いい絵”と”傑作”の違いは「大胆な筆遣い」にある。
そのままにしてもそれなりの”いい絵”にはなる。でもそれを壊すかもしれない「大胆な筆遣い」を入れる事で”傑作”になりえる。もちろん、絵が台無しになるかもしれないけれど。
アスターはその「大胆な筆遣い」を入れる勇気が無くて、絵を描くのをやめてしまった。
絵を描く時、たいていは理性で進める(わたし、一応美大に通っておりました。)
「ここを引き立てたいから強く描く」とか「ここでこんなことを表現したいから、この色を使う。」みたいな感じで描き進めていく。
でも描き上がってくると、なんだか物足りない気がする。
その時フツフツと湧き上がる変な感覚がある。
「思い切ってドバッとこんな色乗せたらどうなる…?」
「この絵、半分いらなくない…?」
「背景にあれを描いたら、意味が深まるかも…」
そんな、誘惑にも似た感覚が湧き上がる。
それはまさにこの映画の象徴的なセリフである「大胆な筆遣い」…みたいなもの。
まぁたいていはやって後悔することが大半。
でもそれが功を奏した時、なんとなく一枚殻を破った感覚になる。
アスターは絵で「大胆な筆遣い」が入れられないように、実は人生においても「大胆に生きる」ことができない。
彼女には付き合っている男がいる。
彼女が学校一の美女なように、付き合っている男も学校一イケてる男。
彼女は直感ではなく、理性的に考えて彼と付き合っている。
そしてその男からの早すぎるプロポーズに、なんとなくOKをしてしまう。
チュウとアスターは似ている。
理性で積み上げてきた人生でそれなりに”いい絵”を描くように、2人は大胆な生き方を選ばない。
同性愛のカミングアウトを恐れてチュウはアスターに思いを伝えられないし、アスターは人生を成り行きに任せてしまっている。
けれどもこの映画はこの2人のお話ではない。
理性で積み重ねてきた2人が描いてきた人生に、ポールという直感が交錯する。
キャンバスに描かれたそれなりに”いい絵“が、“傑作”に変わり始める。
愛って…
あるイースターの礼拝の日、アスターは礼拝に集まる人々の前で付き合っている男からプロポーズを受ける。
しかしダスティン・ホフマンの「卒業」よろしく、チュウはここで運命に抗う。
人間はもともと2つの固まり、それが神によって引き裂かれたものだ。
すなわちその片割れ同士が運命の2人で、その想いは本能で伝わり合う。
冒頭に書いた、このギリシャ人の言い伝えでこの映画は始まる。
そしてこの言い伝えはチュウの独白で語られる。
しかしチュウは自らこの言い伝えを根本からひっくり返す。
「愛は寛容であり、親切であり…」
そんなありきたりの愛のプロポーズに、戸惑いながらもうなずいてしまったアスターを見て、チュウが思い切って割って入る。
内気なチュウしか知らない周囲は静まり返る。
愛は寛容でも、親切でもない。それどころか恐ろしくて、自分勝手なもの。
愛って、片割れを見つけるようなそんなロマンチックなものじゃない。
愛って、愛する人のために努力すること。何度もトライして、ボロボロになること。
愛って、”いい絵”が台無しになることも厭わないこと。
あなたにとっての「大胆な筆遣い」はこの程度?
これまでチュウが積み上げてきた理性的な人生。
ポールと積み上げてきた秘密と友情。
アスターと積み上げてきた互いの理解。
理性で積み上げてきた大切な作品に、直感という「大胆な筆遣い」を派手にかます。
チュウはこれまで積み上げてきたものを台無しにするかもしれないけれど、醜いかもしれないけど、逃げずに、自分という絵を力強く表現した。
大っ嫌いな青春映画のラストシーン
教会でのポロポーズぶち壊し事件はなんだかんだで功を奏し、アスターは結婚を断り、美大を目指すことを決める。
チュウとアスターの関係は少し複雑だけれど、まさしく「面白いのはこれから」と思わせる2人を描きつつ、この映画は幕を閉じ始める。
最後に1シーンだけ最高のラストを残して。
この映画の主人公はもちろんチュウなんだけれど、彼女よりやっぱり目立っちゃってて、どうしても好きになっちゃうのはポールという男。
ポールはアスターのために読んだことのない本を頑張って読んでみたり、人種差別されているチュウをかばったり、実家のホットドッグの事めっちゃ一生懸命考えていたり、どんな映画でも楽しそうな顔で観れたり、良い事あった次の日には早く走れちゃったり、なんとも良いやつで、かわいいやつで、憎めないやつだ。
そんなポールは映画のラストシーンでもめちゃくちゃ良い仕事をしてくれる。
街を出て遠くの大学に行くことを決めたチュウは、旅立ちの列車の窓から
彼女が大っ嫌いな光景を見ることになる。
青春映画のラストみたいで、ありきたりで、バカみたいで、全然感動するはずもないのに、どうしても泣けてしまう。
どうしようもない、使い古された青春映画のラストが、この映画では抜群の光を放つ。
ああ、、、ポール最高…
観終わってから考えるとチュウのプロポーズぶち壊し事件は、ポールの「誰かのために努力するのが愛だろ?」という直感すぎる言葉から生まれたものだ。
チュウは明らかにポールの存在や言葉に勇気づけられている。
でももちろんポールもチュウの理性で多くを学んで、自分の未来の視野が広くひらけた。
紛れもなく2人は刺激しあって、お互いから学び、とても大きな変化をした。
「ハーフ・オブ・イット」を見ると、理性も直感も全部使わなければ、自分の大切なものは掴み取れないんだなって思い知る。
頭で考えてコツコツ良い方向へ積み上げていって、最後にはその積み上げが無駄になるかもしれないけれど、直感を信じて思いっきり筆を払ってみる。
愛でも成功でもなんでも、「大胆な筆遣い」が必要なんですね。
はい。そんなこんなで「ハーフ・オブ・イット」本当に素晴らしかったです。
まさかティーン達にここまで深い事を感じさせられるとは…完敗です。
大人も頑張らないといけない…
では!!

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