「マリッジ・ストーリー」映画レビュー…「結婚て一体なんなんだろう」が余計に強まる。でも…秀逸

映画
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自分のセルフいいところを発表します。
・映画とか本とかが好きで、人よりも詳しい
・それなりに気の利いたことを言って周りを盛り上げるときがある
・細かいことは気にせず、ゆるやかなマインドで高圧的な感じがしない
・え〜と、あと、、え〜と

………………

う〜ん、絞り出して色々出してみようと思ったけれど全然出てこない。

と、いきなりなんでこんなことを書き出したかというと、先日見たNETFLIXオリジナル映画「マリッジ・ストーリー」を見たからなんです。
冒頭のような「いいところ挙げ」が、とても物語のフックになる映画でした。

最初に言っておくと本当に本当にホンットーーに素晴らしい映画でした。
いくら嘘をつけと言われても「素晴らしかった」と言ってしまうくらい素晴らしい映画でした。
「つまらなかった」の「つ」の口の形をしても「素晴らしかった」の「す」を発音してしまうくらいに素晴らしい映画でした。
口の形一緒ですね。はい。

今年で自分は31歳になり、これまではゆるやかだった周りの結婚ペースが、爆発するが如くたくさんの結婚を目の前で見るようになった。
結婚てもちろんまだしたことはないんだけれど、なぜだか結婚に関して色々考えることが多い。
まだまだ結婚に対して色々な幻想を抱いている部分はあるけれど、もはや結婚をしていないと周りから
「あいつはどこか変な性格だから結婚ができないんじゃないか」
「あいつってなんかしっかりしてないとこあるよな、あれじゃ結婚できないよな」

なんてふうに見られている気がしている。いやまぁもちろん自分の勝手な被害妄想だと思うのだけれど…

正直結婚という個人の自由にすぎない慣習がそれをしているかorしていないか、でだいぶ色々とフィルターをかけられているような気がしている。
稼ぎが少なくても結婚していればそこまで惨めに見られなくて済むだろうけど、稼ぎが普通で結婚をしていないとなんとなく残念な人間として見られてしまう。その他諸々結婚していない30代の人間は何かと生きにくいのだ。
あぁぁ、なんとか早く結婚という鎧を装着して無用なフィルタリングにひっかからないようになりたいなと思っている。

まぁ自分語りは置いてといて「マリッジ・ストーリー」だ。
結婚すらしてないお前にこの映画で描かれていることの意味が分かるのかい?
なんて声も聞こえてきそうだけれど、とにかくこの映画は題名が示すよりももっと多くの範囲の事を描いている。
この世界で、互いに全く違う環境で育った人間の間に生まれる愛と、そして摩擦を描いている。
その愛と摩擦が、いかに些細なバランスで成り立っているか、そしてそのバランスがいかに些細なほころびで崩れてしまうかを描いている。
そしてそれが崩れた後どうなるのかすらも描いている。
そんな映画だ。

と、言いたい事を全部言ってしまった感もあるけれど概要を見ていきましょう。

「マリッジ・ストーリー」
公開:2019年(NETFLIXオリジナル)
監督:ノア・バームバック
脚本:ノア・バームバック
製作:ノア・バームバック、デヴィッド・ハイマン
出演:アダム・ドライバー、スカーレット・ヨハンソン、アジー・ロバートソン、アラン・アルダ、ローラ・ダーン、レイ・リオッタ

あらすじ
ニューヨークで新進気鋭の舞台監督として注目されるチャーリー(アダム・ドライバー)と彼が主催する劇団の看板女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)、2人の間には幼い息子のヘンリー(アジー・ロバートソン)
一見幸せそうに見える彼らのニューヨークの生活だったが夫の不倫を境に夫婦仲は冷めきっていた。夫婦は離婚を決意し、チャーリーはニューヨークで変わらずに舞台監督を、ニコールは役者としてのステップアップも見据えハリウッドへ映画に出演しにいくことに。
ハリウッドで一本撮ったら再びニューヨークに戻り、別居しながらヘンリーを育てるという口約束だったが、次第にニコールの心は変わっていく。
次第に変化する互いに対する感情と、それに伴う2人の行動が徐々に摩擦を生んでいき、
円満なはずだった離婚が思いもよらない方向へと向かっていく、、、

勝手に認定、天才ノア・バームバック

この映画の監督ノア・バームバック、自分もまだまだ未見の作品が多いけど、いくつかの彼の作品を見た感じ、勝手に認定させていただきます。天才です。
天才というか、まぁ個人的に今とても熱い監督だと思っている。
この人の作品で見たのは「イカとクジラ」「フランシス・ハ」「ヤング・アダルト・ニューヨーク」の三作品で、どれも共通しているのがニューヨークを舞台にしているというところ(多分そう。)
ニューヨーク舞台の映画を撮る監督といったらマーティン・スコセッシウディ・アレンが有名だけれどこのノア・バームバックはこのニューヨーク派(そんな呼び方されてるか知りませんが)の現代作家としてはまさしく急先鋒な人物だと思っている。
特に上記の3作品の中で個人的には「フランシス・ハ」がとても良かった。
主人公のフランシスを見ていると若者特有の異常なまでのよるべなさみたいなものが、見ているだけでもうヒリヒリと伝わってきて、基本的にはコメディ要素が多いけどまるで自分を見ているようでとても心が痛かった。
でも同時にその自分を見ているようなヒリヒリ感ていうのは案外心地よくて
「うわぁ、こいつダメなやつぅ。でも自分より下のやつ見ているみたいでちょっと落ち着くぅ」
みたいな気持ちになる。
なんならラストなんてフランシスがちょっと自立して一歩を踏み出しているもんだから
「おい、待てよ、お前先行くなよ。だめだめなお前が好きだったのに…」
て気持ちにすらなってくる。

このノア・バームバックていう監督はとにかく日常の中の本当に些細な感情のほつれとか、ほころびみたいなものを絶妙に切り取って、絶妙にさりげなく見せてくれる。
きっと誰もが抱いているであろう誰かに対する些細な嫌悪感とか、劣等感、そんな部分を描くのが本当に上手い人だと思う。
自分の日常に近いから共感できるし、自分の人生にいつの間にか重ねてしまう。
確かに、日常って映画のような大きな事件てのはなかなか起こらない。それでも僕らは日々のほんの些細な事で傷つくし、逆に些細な事で元気が出る。そしてそんな些細な日常が僕らの人生を形つくっているいる。なーんて事にハタと気づかせてくれるのがバームバック監督の映画だ。
あとは人間の情けないところとか、惨めな部分の描き方が本当にねー、絶妙なんですねー。

そしてニューヨークの描き方もとても好き。
いわゆる観光地としてニューヨークではない、もう少し人の生活が根付いたニューヨーク感というか、とにかく派手さはないんだけれど、ちょっとの猥雑さとフレッシュさ、そして感度の高いセンスのある人間が集まっている感、がとても心地いい。
大都会ではない部分のニューヨークというんだろうか、ここらへんはやっぱりスコセッシとかウディ・アレンとすごく通じる部分があると思う。
簡単にいうとおしゃれでちょっとアートムービー感が漂っている感じだ。
スコセッシでいうと「ドアをノックするのは誰?」とかウディ・アレンでいうと「マンハッタン」の雰囲気が近いかな?(正直ウディ・アレンはあんまり見たことないですが。でもブルージャスミンはとても良かった。)
ちなみに自分はあんな感じのニューヨーク感が大好きなのだ。
自分も一度だけニューヨークに一週間程旅行にいったことがあるけれど、やっぱりまだまだ浅い部分のニューヨークしか味わえなかったので、いつかバームバック映画のニューヨークライフみたいなものを過ごしてみたいなーなんて思っている。

ちなみにこの映画はノア・バームバックの離婚経験をベースにした部分があるらしい。
そして彼は再婚していて奥さんは女優で、去年監督作として話題にもなった「レディ・バード」の監督グレタ・ガーウィグ。というか「フランシス・ハ」のフランシス役の人ですね。

日に日に、一分一分だって変わる人の気持ち

そんでそんで本編の話なんだけれど、もうこの映画の良さみたいのは基本的にバームバックについて書いた部分で書いちゃった気もするんだけれどやっぱり
日常のほんの些細な部分で起こる人間同士の摩擦
みたいなのが、個人的にはこの映画の面白さだと思う。

例えば妻であるニコールは離婚する時に
「ロスで一本映画撮ったらまたニューヨーク帰ってきて、そんでまた劇団頑張るわ」
なんて事を言って、夫のチャーリーも
「おっけおっけ、全然おっけ。その方が女優としてもステップアップできんもんね。最高、それ最高。」
みたいな感じで送り出す。
でも後になって、というかロスにいる方が圧倒的に裁判で有利で、親権を取りやすいと分かるとニコールは
「いややっぱロス拠点にするわ。ロスで育ったしロス好きだし、てか愛してるし、あなたもいつか私のためにロスで生活する時間を設けたいとか言ってたよね?」
という感じで都合のいい事を言い出す。
夫からすれば「ロスに居続けたいって言った方が裁判に有利だからそう言ってんだろ!!」と、当たり前にそう思ってしまう。

でもこれってニコールからすればきっとどれも嘘じゃなくて、全部本心で、ニューヨークに戻る未来も、ロスで過ごす未来も、どの未来もその時その時の自分が本当にそうあって欲しいと願う未来だったのだと思う。
そしてそれと同時に、親権が有利だから、裁判に勝てるからロスに居たいと言っている、というのもまた事実だと思う。
つまりは
・いつかはロスに住みたいって気持ちも本当。
・でもロスに住むのはきっと「もうちょっと後」の話で、自分が予測できる少し先の未来ではニューヨークに戻るつもりでいたのも本当。
・そして裁判的に有利と聞いて「もうちょっと後」がすごく早まったのも本当。

だったと思うのだ。

だって人の気持ちなんて日に日に変わるし、下手すれば一分一分で変わる。
要は自分の意思を決める重要なファクターによって、気持ちとか意思は簡単に揺らいでしまうものなのだ。今回は「ロスにいると裁判に有利」というのが自分の決断の重要なファクターとなった。
でも、それでも、自分のどの気持ちが自分にとって一番大事だったかなんて誰だって選べないし、答えなんて無い。
どの選択だって全部本当の自分の気持ちだし、どれかを選択すれば嘘をつくことになってしまうけれど、どの選択だって自分の大事な、思いのこもった選択なんだよ!!
といのがニコール側を見ていると本当に強く伝わってくる。
でも、チャーリー側からだとそんなふうには全く見えないのだ。両者を見てるからこそすごくもどかしいし、同時に2人の反応にすごく共感できる。

伝わってるのだろうかこのアンビバレントな気持ち。ううぅ、自分の説明力の無さが本当に悲しい。
でもどうしても伝えたいからこの際とても軽薄そうに聞こえる台詞で伝えてみよう。

「あのときはAの事好きって、確かにそう言ったけど!!今はぶっちゃけBの事好きなんだよ!!
でも、でもな!!その「好き%」がどっちが高いかなんてな!!わかんねーよ!!」

こんな感じだ。

そう、全くもって矛盾するこの感じ。本当になんというかこう、アンビバレントなのだ。
こんなん聞いたらAは
「いや、でも結局Bのこと好きなんでしょ?もうどうにもならんやんそんなん。」
となってしまうだろう。
…ダメだ、うまく伝えられない。
詳細は是非映画を観てください。

そしてね、上記のようなセリフなんてもう幼稚すぎて言うのが恥ずかしいじゃないですか。
しかも口論になって正々堂々どっちが正しいか決めようじゃねーかって時に、なかなかこんな矛盾に満ちていて幼稚な事言えないですよ。本当の気持ちなのにも関わらず。というか言ったところで結局大事なのは今現在の気持ちとか、その人がとった行動なわけだから。
そうなるとこの気持ちは空回りして、いつの間にか相手の人間性の批判とかになってしまう。そしてそれに対して相手も激昂して次第に不毛な罵り合いになってしまう。
恥ずかしいから言えない、という理由じゃ無いにしても、思い起こしてみると誰かとの揉め事って本当にこういう些細な事で、驚くほど溝が深くなったりするものだと思う。

いやー、でもね、本当に自分が伝えたいことはもう是非映画を見て感じ取ってもらうしかないと、それがやっぱり一番いいなと思いますね(逃げ)

一応頑張ってまとめると
人の気持ちなんて常に動いてて、変わり続けるものだけれど、その一瞬一瞬で考えていたことや、抱いていた気持ちは決して嘘じゃない。
という事でしょうか。
ここの部分を分かってあげない両者を見ていると本当にもどかしく、悲しくなるのです。

絶妙なバランス感と“怒り”

それとこの映画の見所として個人的には、「夫婦の2人を撮るバランス感」が挙げられると思う。
これはもう本当にかなりセンシティブに脚本の段階で練っていたと思うんだけれど、まず映画全体の作りからしてどちらの味方にもなっていない構成になっている。
どちにも寄り添わない、かといって離れすぎない、そんな絶妙な距離感に登場人物と観客を置く。
片方が悪いように見えたら、相手方の悪いところも見せる、逆もまたしかり。
後々考えてみると、それは映画の冒頭のあの印象的なシーンのところから既にこの演出をやってたんですね、そう思うと、うわぁぁやっぱノア・バームバックすごい…となってしまう。
んでこれはあくまで見せ方の部分。

もう一つは「あ、この2人って本当にどっちも悪く無いじゃん」って思わせるストーリーの部分。本当にどちらの言い分も分かるし、全く間違ってもない。
そうなるともちろん、じゃあ何が一体いけなかったんだって話になってくる。
そんで結局「何が」なんて答えはどこにも無いことに気づく。
もしかしたらそれはタイミングなのかもしれないし、周りの人なのかもしれない。あるいは、日常の中の、もはや自分では許していると思っている本当に小さな相手への嫌悪感の積み重ねなのかもしれない。
きっと本人同士は相手の方が悪いと思ってはいるものの、必ずしも相手だけが悪いわけではないとも思っているはずだ。感情的なるとそこもうまく伝えられなくなってしまうのを見るのはとてももどかしいし、それでもやっぱり共感してしまう。
本当にいつも大事なあと一言が、この映画では聞けないのだ。

この映画では「裁判」あるいは「弁護士」という「第三者」が一種の悪だと思わせる部分もすごい。
2人のどちらが正しいのか、何が離婚の原因だったのかを知るはずだった裁判はいつの間にか2人の憎悪の溝を深くするだけのものになってしまった。
「きっとこの2人はしっかり膝を付き合わせればいい妥協点を見つけだせるはずなのに」
映画を見ている途中ずーっとそう思って見ていた。
でも、でも…
いざ膝を付き合わせると、、、なんともう、、、

怒り

というんですかね、爆発というかね、

そんな、僕らの一番見たかったこの展開で、、、そんな

っていうね。もうこの先はあまり言わないほうが良いですね。
言いたくないけれど個人的にはもう本当に大好きなシーンだった。

このシーンを演じきったアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンは本当にすごい。
どちらのキャリアの中でもベストアクトと胸を張って言える演技だったと思う。

いやー、でもね、人が怒るシーンて大好きですね。
怒りって本当にその人の素が出る瞬間だと思うし、かなり見苦しいもんだとも思う反面、ある種のチャームさというか色気も帯びているような気がする。
このシーンはね、もう本当に泣いてしまうくらい悲しいし、もどかしい。
本当にたくさんの人に見てもらいたいシーンです。

ちなみに「勝手に震えてろ」の怒りシーンも大好きですね。詳しくは過去の記事を読んで見てください

愛と怒りに満ちた映画

この映画って「マリッジ・ストーリー」(結婚話)て題名なんだけれど、描いているのは“結婚”ではなくて思いっきり“離婚”の話である。
自分は今はまだ独身で、こんな映画見たらさぞかし結婚て大変なもんなんだな、思ってしまいそうだけれど、逆にこれを見てやっぱり結婚ってしてみたいなぁと思った。
むしろこれを見た上でやっぱり結婚てすばらしいなぁと思った。

もちろんこの映画のような経験をしたり、結婚しても驚くほど冷めきっている人からしたら、何にも知らない奴の戯言だと言われそうだけれど、この映画を見るとやっぱり結婚には色々な経験が詰まっているように見える。

それはもちろん愛だったり、悲しみだったり、怒りだったり、憎しみだったり。
愛以外はどうしようもなくネガティブなものだけど、せっかく生きているんだから、そして誰からも禁じられているわけでもないんだから、自分は無条件にそれらを味わいつくせる権利があるわけだ。
だったら経験しないよりは経験した方が良い、そんな単純な理由だけれど、そんなたくさんの感情に埋め尽くされたところに、とにかく行ってみたいと思った、行かないと損だなと思ったのだ。

それにこの映画では最後には悲しみも怒りも憎しみもなんとなく薄れて、愛だけが残っているように見えた。
愛だけが残るんだったら、まぁ最悪離婚したっていいじゃないかとも思う。

いんやぁ、書いてて思ったけれど、甘い考えすぎるかな。
どこからともなく「全然そんな良いもんじゃねーから」と聞こえてきそうだ。
まぁでも今くらいはそう信じさせてもらいたい、というかむしろ自分はこの夫婦のように「離婚してるけど、しっかりと信頼関係を築いてる」感のある家族像に憧れてすらいる。
結婚したい願望と離婚したい願望が微妙に混じり合っているいびつな結婚像を抱いている。
単純に映画に出てきそうでドラマチックでかっこいいからという理由なだけだが…

いやーそんなわけで、ちょっと長くなってしまったけれどとにかく「マリッジ・ストーリー」は最高の映画でした。
一言で言うなら「愛と怒りに満ちた映画」です。
ただ単にかっこつけた言い方をしたいだけでなく、本当にそんな映画なわけです。
愛が怒りを包み込むのか、怒りが愛を飲み込んでしまうのか、そんな普遍的な問いにとても真摯に向かい合った映画だと思います。

ぜひみてください!!

最後におすすめ関連作です

◼️「フランシス・ハ」

映画『フランシス・ハ』予告編

まずは同監督作。もう散々おすすめした感じもするけれどやっぱり見て欲しい作品。
しっかりしてない若者、あるいはそのまんま大人になってしまった人に是非見てもらいたい。
ノア・バームバックの奥さんのグレタ・ガーウィグ主演作!!

◼️「イカとクジラ」

イカとクジラ (字幕) – 予告編

またまたバームバック作品。
しかも同じような夫婦離婚物。「マリッジ・ストーリー」がなんやかんや「陽」なテイストがある映画だった気もするけれどこっちはちょっと「陰」のテイストが強いかも。
こちらもバームバックの両親の離婚をベースにしたとかしてないとか。

◼️ハライチ岩井さんの結婚に対して思っていること。

ハライチ岩井と光浦靖子 芸能界結婚ラッシュを語る
ハライチ岩井さんが文化放送『大竹まことゴールデンラジオ』に出演。光浦靖子さん、大竹まことさんと2019年11月の芸能界の結婚ラッシュについて話していました。 (大竹まこと)でも今回は本を書いちゃったね。 (岩井勇気)そうなんですよ。2ヶ月ぐ

急に映画じゃないんかい!!という感じだけれど面白いだった。
ハライチの岩井さんが結婚に関して思っていることをラジオで語ったみたいなんだけれど、読んでみたら結構共感できた。
たしかに自分は、自分自身の結婚に関して、というより世の中の結婚に対する考え方にちょっと釈然としない部分があるのかもしれない。ここは長くなりそうなのでまた別の機会に。
書くかのかなぁ、見苦しくなりそうだなぁ

そんな感じですかね。
長々と読んでくれた方ありがとうございます。

では!!

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