「蜜蜂と遠雷」映画レビュー(ネタバレ)…そんな事、わざわざ口に出して言ってくれるなよ…

映画

天才…

誰かに対してそんなふうに思ったことがあるだろうか

自分はどうだろうなー、う〜ん、、と考えたみたけれど特には思い当たらなかった。
自分は一応美術の大学の出身で、美術大学というのは大抵どんな人も入学するために美術大学入試専門の予備校というのに通う。
早い人なら高校一年生くらいから入るけれど自分の場合は高校三年生の夏休みからというまぁまぁ遅めの予備校デビューだった。
なんせそれまで「美術」の世界なんて小中高の図工や美術の授業だけだったので、予備校に入るときなんかはそりゃもう「て、天才みたいな人がいるんじゃなかろうか…」なんて震え気味だったのを今でも覚えている。

しかしまぁ予備校に入ってみれば絵がめちゃくちゃ上手い人はたくさんいたけれど、自分の志望がデザイン科だったからか、「才能」で描く、というよりは皆訓練して上手くなる、みたいな雰囲気に近かった。
訓練する前からなかなかに描ける人もいるにはいたけれど、それでも手先が器用というレベルで、いわゆる「天才」っぽい人は少なくとも自分が通っていた予備校にはいなかった。
ほんで一浪なんてしちゃいながらも無事美大に入れて、またもや「さすがに大学には天才が…」なんて予備校に入るとき以上に震えたのだけれど、やっぱり大学にも「天才」はいなかった。

そんなこんなで、社会人になり皆がそうするように(自分はインテリアや建築の科だったので)自分もインテリアのデザイン会社に入社。
もはや天才なんてもんはいなかろうと、正直「天才」という存在すら忘れていたわけだけれど、今周りを見回してもやっぱり「天才」らしき人はいない。

とにもかくにもアート系に少なからず属している自分でもこれまで生きてきた人生の中で「天才」というものを見たことがない。

そもそも「天才」ってどんなやつだろう、「天才」なんて世の中にいるのだろうか
例えばイチローは天才かもしれない、イチローは日本でもメジャーでもヒットを2000本打ってるし、メジャーのシーズン最多安打記録を持っているし、それに何と言ってもなんか変な人っぽい。
成績面ではもちろん誰もが認める天才なのはもちろんだけれど、あの変な人っぽさがイチローの「天才」感に拍車をかけている。

と、まぁ今日はイチローについて書きたいわけではなく公開中の映画「蜜蜂と遠雷」という映画について書いてみようと思う。
なぜなら、これはまぎれもなく3人の「天才」についての物語なのだから。

「蜜蜂と遠雷」(2019年公開)
監督:石川慶
脚本:石川慶
原作:恩田陸
出演:松岡茉優、森崎ウィン、鈴鹿央士、松坂桃李

あらすじ
かつて天才ピアニストとして世界的な注目の的となっていた栄伝亜夜(松岡茉優)だったが
ある事件がトラウマとなりステージに立てなくなってしまう。
時は過ぎ、大人になった亜夜はこれまで敬遠していたピアニストのコンクールに自分のキャリアの最後を賭けてあがることを決意する。
そこにはかつて天才と呼ばれた自分、そして今最も注目を浴びる若手天才ピアニストのマサル・カルロス(森崎ウィン)、人知れぬもう一人の若手天才ピアニストの風間塵(鈴鹿央士(すずか央士(すげー名前だ)))の姿があった。
若き天才3人に加え、天才には産まれなかった年長の高島明石(松坂桃李)の
視点も交えつつ、若き才能がしのぎを削る国際ピアノコンクールでの、
息もつけないようなピリピリとした静寂と、
反相するに個人の、内に秘めた燃えたぎるような熱狂の世界が描かれる。

映画『蜜蜂と遠雷』予告【10月4日(金)公開】

松岡茉優主演の「勝手に震えてろ」を見てから彼女の、細部にまで役柄のパーソナリティを染み込ませるような演技と、圧倒的なキュートさに魅せられて、こりゃ主演作の「蜜蜂と遠雷」も見に行かなきゃいけんと思い(とは言ってもこの映画知ったのは見に行く2日前くらいだった…)見に行ったわけなんだけど、まず原作がどうも恩田陸さんの小説で、それも直木賞までとっちゃったりしてて大変な話題作だったみたいですね。

特に小説の中での音楽の描写が素晴らしいらしく(まだ読んでいないけど文庫化されているみたいです。)題材が音楽なだけに、映像化は無理なんじゃないかと言われている作品だったそうで。
でも実際に映画を見てみると自分がクラシック音楽の良し悪しなんか全くわからないというのも相まってか、そこの部分は全く気にならず、というよりこりゃクラシックのこと全くわからなくても演奏シーンは文句なしに素晴らしいとしか言いようがないほどよくできてました。

これといってやりすぎな演出をするでもなく、抑えの効いた演出で、おごそかながらパワフルな演奏シーンはクラシック音楽だからこそ持ち得るある種の神聖さが出ている感じがして、この部分は本当に満足度が高い。
でも多分家でDVDとかで見たらそのシーンとか全然凄みないんだろーなーと思えなくもないので、もうそんなに公開期間ないかとは思いますが是非是非映画館で見てもらいたい映画です。

さて…、もちろん音楽の映画なわけなんだけれど、それ以上にこの映画で大きい部分はやっぱり冒頭にくどくど書かせてもらった「天才」について、「天才」はどのように考え、「天才」はどのようにその才能を爆発させるか、それがこの映画での一つのテーマなのではと感じられる。

と思いつつも、実は「天才」というよりは「天才」と「そうでない人間」の見えてる世界の違い、というのものを松坂桃李演じる高島明石という人物を通して表現しているようにも見て取れる。

高島明石はピアニストとして音楽の大学を出ながらも、そのままピアニストとしての人生を選ばずに楽器店に就職し、その傍らピアニストとしての活動を並行しているという人物。
この人の人生ってのは、見ている非天才の人間としてはとても身につまされる人生で、もちろん映画の中で事細かに語られるわけではないんだけれど、どうあがいてもある一線よりは上に行けなかった人間、自分が打ち込むものが好きで好きでしょうがないんだけれど、才能という絶望するくらい高い壁に阻まれてその先に行けなかった人間。
というのが色濃く描写されていて、自分も音楽やアートという世界の人間ではないんだけれど勝手ながら近い世界に生きていると思っているので、なんとなく「あー、分かる。この人の気持ち分かる…」という気持ちになってしまって切ないやらなんやら。
まぁ原作は読んでいないですが、明らかに映画の中では3人の天才に負けないくらいに存在感が強かったし、おそらく原作でも映画の脚本の中でも影の主役としてなくてはならない存在だったのは確かだった。

そして彼が3人の天才の音楽観の触媒になっているのがまた「そうでない人間」に対してのエールのような、あるいは賛歌のように感じられてとても良かった。
彼が目指す音楽は「生活者の音楽」。つまりは天才ではない自分が、天才ではない人々のために奏でる音楽。
観衆がドレスアップして圧倒的な音像に打ちのめされるのを今か今かと待つようなものではなく、人々の家庭で、学校で、町の食堂で流れ、生活と共にあるような音楽を彼は目指していた。
そんな彼の音楽が、3人の天才の音楽に対する意識をじわりじわりと変えていった。
自分の才能をコンクールを通して強引に示しつけるような音楽ではなく、ただひたすらに、ピアノを弾くのが好きで好きでしょうがなかった子供の頃を思い出すように、ピアノを弾きたいという純粋な欲望が湧き立って、いい音楽を奏でたいという気持ちを湧き立たせた。
なんというかこう、初期衝動が呼び覚まされるような感覚だろうか。そのあたりが見ていてなんとも心地よかった。

と、まぁ手放しで絶賛という感じに行きたかったのだけれど、個人的にはこの映画で
う〜ん、なんだか嫌だなぁと思ってしまった部分が2つほど。

一つ目は3人の天才のうちの一人、この映画でデビューした新人鈴鹿央士(すずかおうじ、すげー名前だな)演じる風間塵の天才像だ。
天才と言われるとどんな人間を思い浮かべるだろうか?
個人的には純粋無垢で基本はふにゃふにゃと猫のようにのんびりしていつつも、ある何かをやらせると驚くほどの集中力と、才能を見せつける人物像が思い浮かぶ。
DEATH NOTEのLが近いかな、なんか例えが微妙だな、、まぁ、うん
んで、まぁこの風間仁というキャラがなんともこの「天才テンプレ」そのまんまで、ちょっとこう、他になんかなかったんかいな〜と思えてしまうキャラクターだった。
もちろん演じてる鈴鹿央士(すげー名前だな)さんは、まさにこのキャラクターで普段生きてるんじゃないかってくらいに、純粋さとか人懐っこさとかがにじみ出ていてとても良かったんだけれど、でもなんかちょっと急に漫画じみてないかな、というような気がしてしまって、じんわり蕁麻疹出ちゃいそうでちょっときつかった。
なんかなー、映画における天才像って他にないもんなのかなぁ。

あと、天才同士は才能だけで通じ合っちゃいますみたいなシーン、このシーンはいくつかあって、そのいくつかは結構いい感じで、フィクションと現実のちょうど中間の感じでとても良かった。
例えば松岡茉優が地下のコンクール会場の駐車場を歩いていると、聞こえるはずのないピアノの音が聞こえて、その方向に思わず歩いて行ってしまうとそこには…のシーンとかは良かった。
お、天才同士はこうして超常的な呼応の仕方、、、、するかも!!いやしていい!!天才ならそのくらいしていい!!そんな天才あるあるを見ている感じが良かった。
んだけれど、反対にララランドよろしく松岡茉優と鈴鹿央士が二人でピアノ連弾するシーン。
あれってコンクール会場から彼黙って付いてきてるわけでしょ、多分結構な距離付いてきてるわけだから。
「付いてきちゃった(ニコ)」って可愛く言われても、いくらイケメンでも天才でもちょっと怖いでしょ、軽いホラーでしょ。
まぁそこまでは最悪良いとしても、松岡茉優も受け入れちゃうのかよ、天才同士はなんでも通じ合っちゃうのかよなんでもありかよ、って感じがしてちょっとリアリティのラインが崩れかかっている感じがしないでもないかなーと思ったりもした。
まぁそこで月夜に照らされて二人で連弾するわけなんだけれど、そこは安易にチューとかしてくれなくて良かった。あそこでそんなことしようもんならもう一気に興冷め映画になってしまうだろう。

二つ目としては、音に関する、というか音を感じる時の台詞。
特にまたまたで申し訳ないけれど風間塵君が、まさにタイトルにもなっている海越しの「遠雷」をみて
「世界が鳴ってる」
と、ぼそりつぶやく台詞。
これがねーなんかこう、しらけるわ〜、邦画臭いわ〜、天才が「あっ」て何か気づいたみたいな顔して言いそうだわ〜、て感じがしてとても苦手でしたね。

結局のところ映画って、「口に出して言うと恥ずかしくてたまんないんだけど、でもやっぱりそれが真理、それが現実」って観念だったり概念を(例えば愛は世界を救うとか、努力すればその先に絶対良いことがあるとか、あきらめなければ夢は叶うとか)あえて口には出さずに、わざわざ二時間近くかけて誰かの心めがけてぶん投げるものだと思う(もちろん色んな考えがあるとは思うけれど)。
だからこそたくさんの人の心に残るし、直接言葉にしない分、その受け取ったおぼろげな形を自分の中でしっかりとした形にしようと色んな事に考えを巡らせるわけだ。
そこをこの塵くんはこれ見よがしに言葉にして言っちゃったわけですよ。
しかもちょっとこの台詞、なんかダサくない?なんだかRADWIMPSとかの歌詞みたいで妙に鳥肌立つ感じがすごくきつかった。う〜ん。

もちろん小説では良いのかもしれない、しかるべきシークエンスでしかるべき雰囲気を作っていればすごく良いシーンかもしれないんだけれど、やっぱりこれは映画だし、ましてや海の向こうの「遠雷」は観客は絶対に見るしその音は聞こえるわけだから、ここはこの台詞無しで、塵くんが何か感じたふうな顔だけ撮るだけで良かったのではないだろうかと思ってしまう。

まぁでも海の向こうに見える「遠雷」も明らかにCGだし、確かに雷は地球が生み出す最も大きな「音」、言うなれば「自然だけが鳴らせる音」なわけだから、実はピアニストの音楽ではなく、タイトルになっているこの「遠雷」の音こそが一番映像化不可能だったのかな、、、なんて深読みをしたりもした。そんな重き置いていないかな、ここに関しては…

あとは「世界は音楽であふれている」「あなたが世界を鳴らすのよ」とかそこらへんもちょっとRADWINMPS感(この例え伝わるのだろうか)というか、高校生の読む携帯小説みたいな台詞が、どーしてもこう、映像化すると鼻につく感じがしてね。セカイ系的な感じなのかなこういうの。
さらっと言うのは全然良いと思うんだけれど「ここ!今雰囲気ある事言いました!!」って感じの演出なのもちょっと嫌だったかな。
というよりもいずれも映像だけで十分にその感じが伝わってくる素晴らしい作りなので、わざわざ臭い言葉言ってくれるなよと、せめてそういうことは感想として言わせてほしいわと、そんな気持ちにとてもなりました。

まぁね、散々な感じで書いてますけどとても完成度高い映画ですよ。
単なる雷を「世界が鳴っている」と感じる程に、彼は音で全てを知覚しているその天才感は十分に分かるし、
「世界は音楽であふれている」と感じられるくらい、映画全体に素晴らしい音楽があふれていたし、
「あなたが世界を鳴らすのよ」と子供時代に言われた小さな女の子の、その初期衝動を取り戻した演奏は身震いするほど美しくて楽しくて力強かった。

確かにね、それを言葉無しで伝えるのは難しいかもしれないですね。
なにはともあれ、この映画ね、見た後の清々しさがすごい気持ちいいんですよ。
でもこの映画を見た後の清々しさってのは多分、明らかに言葉じゃなくて、映画の中にあった音楽だったり、ドラマだったり、空間だったり、そんなものが混ざり合ってこちらの心にぶん投げられたものだと思う。
心地よい残響のようなものが自分の中にしばし鳴っているような、そんな映画でした。

はいー、こんな感じで今日はいつもよりさっくり書いてみる事を意識しましたが、どうでしたでしょうか。
色々書きましたけどね、おすすめですよ「蜜蜂と遠雷」。
やっぱり松岡茉優がね、演技がやっぱり良いですね。
あんまり台詞多くないキャラクターなのに、色んな迷いとか決断が感じられる。3人も天才がいて一人めっちゃアクの強い天才なのに、やっぱり「主役は私」とささやかに凛としている佇まいはすごいですね。
あと森崎ウィンのしっかりもの天才感も最高でしたね。好人物感がえげつない。
あと松坂桃李ももう近年最高度増すばかり。「彼女がその名を知らない鳥たち」での最高クズキャラも素晴らしかったけれど、今回の「天才になれなかった人間」感もほんと見事。

「彼女がその名を知らない鳥たち」に関しては以前書いているので、お時間ある時ぜひ見てやってください

新人の鈴鹿央士(名前すごい)くんもなんやかんやで良かったですね。天才感ね、すごいちゃんと出てましたよ。

というか最終的にこの映画ってやっぱり3人じゃなくて4人の天才の物語でもあるし、4人の(全く優劣のない)ピアニストの話でもあるんですね。たとえ見えているものが違っていたとしても、まぁ逆に言えばあいつら(天才たち)にだってこちらの見ている世界は見えないわけだから。
それに高島明石の演奏は少なからず3人の天才の心をうったわけだし、彼はこれからも自分の目指すピアノを磨き続ける。それが成就したらそりゃもう天才でしょう!!な目標なわけだから(そういう海でいうと森崎ウィンの目標ともちょっと似ているかな)。

邦画も面白いの多いですね。
では!!

おまけ

関連作?的なものご紹介しましょう

◼️「アマデウス」

AMADEUS (1984) – Official Movie Trailer

モーツアルトの映画です。結構な名作でフェイバリットにあげる人も多いでしょう。
まさしく天才!!なモーツアルトのキャラですが、憂いとか、そんな部分も描く事でやっぱり天才テンプレートよりもどんどん深いキャラクターに昇華してるんじゃないでしょうかね。

◼️「セッション」

映画『セッション』予告編(4/17公開)

結局のところ「天才」て何かに時間も忘れるくらい没頭できる人なんじゃないかとも思います。
そんな意味ではこの「セッション」の主人公はまさしく天才。
そこに彼だからこそ燃えたぎる恩師への復讐心という組み合わせがなんとも意外で面白い。
熱くなれる映画です。

◼️「愚行録」

映画 『愚行録』予告編【HD】2017年2月18日公開

この「蜜蜂と遠雷」の監督の石川慶さんのデビュー作。正直自分も見ていませんが、方々でかなりの評価を得ているみたいでとても面白そう。
「蜜蜂と遠雷」の最大のテーマである「音楽」面での作り方をこの監督はとてもクリエイティブな方法で解決したらしく、そんなアイデアマンの監督のデビュー作なのできっと注目すべきところがいくつもあるでしょう。書いていないけれど「蜜蜂と遠雷」は映像がすごく綺麗で、ロケーションとかもめちゃくちゃセンスが良い。映画全体の雰囲気作りが抜群に上手いので、それはきっとこの「愚行録」にも現れているはず!

「蜜蜂と遠雷」は宇多丸さんも評論していて、この評論だけでも面白いのでぜひ!

「蜜蜂と遠雷」ムービーウォッチメン ライムスター宇多丸 10.11

ではでは〜

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