「パラサイト 半地下の家族」映画レビュー 一線を超えてしまう何かを見る

映画
スポンサーリンク

人付き合いというのものは誠に難しい。
昔は誰とでも仲良くできたが大人になってくるとどうしても好き嫌いが強くなってしまって、少し話しただけであの人は苦手だと判断したり、ちょっとしたことで相手に嫌悪感を抱いたりしてしまう。
たとえこの人は仲が良くなれそうだ、と思った人でも小・中学生のように毎日会うわけでもないから相手のパーソナルな部分を知るような深い話なんてのはなかなかしづらかったりもする。
こんなこと聞くと気を悪くされるんじゃないか、まだそんな深い付き合いじゃないのに身の上話をするのは失礼なんじゃないか、そんな事ばかり気にして話はついつい表面的になってしまう。

じゃあそもそもいつからそんな話をできる関係になるだろう。
相手に「今日から自分結構深い話オッケーっす」なんて宣言するわけにもいかないし、「今日ってここまでの話しちゃって大丈夫っすか?」なんて確認をとるのもおかしい。
誰かのパーソナルな部分にぐいっと入り込んでいくような至難の技を伝授してもらいたいなんて思いながらも、それで嫌われるくらいだったら一旦は今日も表面をなでなでしてその場を終わる。
そうすると人間関係はいつもと変わらないメンツで居酒屋で虚しい近況報告と少しの野心披露会に終始してしまう。

きっと誰かのパーソナルの一線を思い切ってぴょんと飛び越えたり、たまにその線の外側に戻ったり右往左往しながらいつのまにかその線なんて無かったかのように感じるものなんだろうけれど、その一線を踏みこえるのは勇気がいる。
逆に自分の一線が踏み越えられると急に嫌悪感を感じたりする瞬間を思い出すと、やっぱり今日はこのへんで引き返しておこうなんて余計及び腰になってしまう。

特に会話を交わさずにもその一線を悪い意味で飛び越えて来る人もいる。
それはその人から放たれる体臭だったり、見た目だったり、社会的な身分だったり。
それらは直接的にこちらの五感や価値観に迫り来る。
どんなにそれだけで嫌悪してはいけないと思いながらもどうしても嫌な体臭や口臭だったり、めちゃくちゃださいファッションだったり、鼻持ちならないくらい親が金持ちで道楽人生を歩んでいると、分かち合おうにも分かち合えない。

まぁ実際そんな人にはあった事がないから実はあくまで想像の中での話なんだけれど韓国映画
「パラサイト 半地下の家族」を見たらそう感じざるを得なくなってしまったのだ。
というわけで「パラサイト 半地下の家族」について書こうと思う。

ではざっくり概要を

「パラサイト 半地下の家族」2019年公開(韓国)
監督:ポン・ジュノ
脚本:ポン・ジュノ、ハン・ジンウォン
出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チェ・ヨジュン、チェ・ウシク、パク・ソダム

言わずと知れた2019年度の米アカデミー賞作品賞受賞作品。
加えてもう一つの花形の一冠である監督賞を監督のポン・ジュノが受賞した。
さらにさらにこちらも花形の脚本賞国際長編映画賞も受賞と、この年のアカデミー最多の4部門を受賞するという今やアジア映画最高峰の地位を確立したと言っても過言ではない韓国映画がこの「パラサイト 半地下の家族」。

ソウルの貧困層の多くが住む住居形式「半地下」住居に住む4人の家族がお金持ちの大豪邸に続々と「パラサイト」(就職)していく。ここまではまぁそこまで真新しさはないどこかに転がっていそうなお話。
でも、いつのまにかそんな潜入モノのようなテンプレートから外れ誰もが思いもよらなかった方向に大きく舵を切っていくのがこの映画の大きな特徴である。

まずはこの半地下家族が金持ち家族にパラサイトしていく様が実にリズミカルでコミカルで、ある種のスリリングな快感すらも感じさせるあたり、この辺が全くダレる事なくこの映画にグイグイ〜っとのめり込める部分で、いつの間にか映画に知らない世界に連れて行ってもらえる。
ちょっとうまく行き過ぎてない?なんて思う部分もあるんだけれどしっかりと
「コメディーですから」っていうタッチで描く事でそのうまく行き過ぎてる感すら心地よく感じる。
自分は二回見たけれど二回目でもこのスピーディーな体験は本当に心地良い。
というより見れば見るほどに構成力と演出の巧さに驚かされる。
スパイ系映画のの一人一人の紹介シーンのようでいて、且つ得意技の披露とその技の威力がキュッとまとめてスタイリッシュに見せてくれる。
そしてそれが強力な推進力となって映画を引っ張っていく。
エンターテインメントとしての映画の魅力がこれでもかってほどに詰まっていてまず娯楽映画として、100%受け身で、ぽかーっと口を開けてても余裕で楽しめてしまうのだ。

しかし導入で巧みにこの身をかっさらわれてから、実は自分はとんでもない方向へ連れて行かれている事を知る。
パンフレットでポン・ジュノ監督が「ネタバレはまじでやめほしい」と心ながらに訴えていたのでまさにこの映画とポン・ジュノ監督に「リスペークト!!」(見た人は分かるネタ)を捧げる意味でネタバレはしないけれど、まぁつまりは「ちょっとうまく行っただけで調子に乗るのはマジで良くない」という展開にる。
そこは是非劇場に足を運んでからこのパラサイト家族の行く末を見届けてほしい。

で、今や誰もが知るように「パラサイト」は「アカデミー賞作品賞受賞作品」となった。
映画を作る全ての人が憧れ、手を伸ばす名誉ある賞だ。
簡単にいうと「アラビアのロレンス」、「ゴッドファーザー」や「タイタニック」と肩を並べたことになる。
だから、もちろんだけど「パラサイト」先に書いたように貧乏家族が金持家族に潜入していくだけのドキドキワクワクなスリリング映画とは一線を画している。

「パラサイト」の中には韓国社会の目を背けたくなるような現実が描かれている。
そしてそんな社会情勢だけではなくその仕組みと、その仕組みに一度組み込まれてしまった人々の悲惨さ、もっと言ってしまえば諦めすらも描かれている。
一見コメディに見える前半と打って変わり、後半は全く笑えない、あるいは逆に笑うしかない展開になる。

自分もあまり知らないが韓国では2010年以降、若者は三放世代(さんぽうせだい)と呼ばれているらしい。
三放とは人生に大事な三つのもの恋愛・結婚・出産を諦めたという意味。
韓国は1997年のアジア通貨基金により公務員すら自主退職を迫られるほど国力が弱まった時期があり、その流れは今も大きく回復してはいない。
お金持ちに生まれなかった若者の多くは非正規雇用で雇用されるケースが多くなった。
そうなるといつ首を切られるかもわからない状況の中必死で働かなければならない、まさに恋愛なんてしている暇もないのだろう。
そして仮に恋愛ができても妻を養うお金も無いから結婚もできない。
仮に結婚しても子供を学校に行かせるお金もないわけだから子供を出産する事もできない。
そんなこんなで韓国の若者は人生で誰もが手に入れる権利のある恋愛・結婚・出産を諦めるしかないらしいのだ。
そしてそしてだ、今やその三放世代はもっともっとひどい状況になり七放世代(恋愛・結婚・出産・マイホーム・就職・人間関係・夢)なんて言われているらしい。
え、本当ですか?と思ってしまうが、少々大げさな部分もありながら、そんな呼び名が産まれるくらい韓国という国に落ち込んでいる層がいるのは目を覆っても消えない一つの事実なのだろう。

「パラサイト」の中でも長男は実力がありながらお金がないために大学に行けず、長女は美術の才能がありながら美大に行く事自体を、まさに諦めている。
そして父も母も仕事はなく、家族4人でピザ箱を組み立てる内職で何とか暮らしているような家族なのだ。
そして彼らは北朝鮮の攻撃に備えて作ったが使われなくなった半地下住居に住んでいる。(あの半地下住居はソウルにはたくさんあるらしい)
この半地下住居とそこに暮らすこのパラサイト家族こそがまさに現代韓国の貧困層を象徴している。

でも、彼らはまだ全てを諦めていたわけではなかった。
ひょんなことから自分を偽り、相手をうまく騙すことで彼らは一つ生きる活路を見出す。
それこそがまさに一家全員での金持家族への「パラサイト」(就職)なのだが、彼らは相手を騙すことで、そして自分たちも貧困層ではないと偽ることで、逆に自分達の生きる社会の仕組みの「どうにもならなさを」僕ら観客に見せつけることになる。

パラサイト家族が大雨の夜に金持家族からある理由で逃げるシーンがある。
雨水は高級住宅街の坂を下り、トンネルを下り、大きな階段を下り、下へ下へと流れて行く。
だって水だから、それは当たり前だ。
その下に老婆がいようと子供がいようと水は何の慈悲もなく高いところから低いところへと流れて行く。
同じようにパラサイト家族も下へ下へと下って行く、まるでそれが自然の摂理とでもいうように彼らは雨の貯まる下の世界へとひたすら下る。なぜなら彼らの家は街の下にあるから。
街の下側、半地下住居が集まる住宅街は雨水と溢れかえる下水でほぼ水没状態になっている。
パラサイト家族はそんなこと慣れていて何とも思っていないかのように金目のものや大事なものを外に出す。
長男は友達からもらった立派だけど重い、いかにも金持ちが持っていそうな石を持ち出す、その姿はまだ彼があの丘の上の金持家族のような生活を諦めていないように見える。
そんな中、妹は家の中で一番高いところにある便器(元は一階用に作られているから便器が一番高い位置にある。)に腰掛け隠していたタバコをふかす、もう全て諦めたかのようにタバコの煙だけが虚しく広がる。

時間にするとおおよそ10分くらいだろうか、そんな短い時間でポン・ジュノ監督はパラサイト家族と金持家族の家の地理関係を使い、水の流れを使い、そして彼らのほんの少しの行動の機微を使い、貧富の格差と、その仕組みはもう変えることのできない力学で動いていることを描いた。
そしてそれに対してささやかに抗う人間と、もう諦めてしまった人間を描いた。
彼らが生きる社会ではお金持ちに生まれればお金持ちになり、貧乏に生まれれば貧乏に育つのだ。
水が高いところから低いところに流れる原理と同じように、それはもう一つの社会の原理になってしまっている。
ほんの10分程度だ、10分程度で残酷な社会の現状と、残酷な社会のその仕組みを、メタファーも含め畳み掛けるかのように見せつけてくる。
コメディーの皮をかぶった現実が、さっきまで笑っていた観客に襲いかかってくる。
相手を油断させたポン・ジュノ監督はまんまと相手をコーナーに追い詰め、ここぞとばかりに強烈なラッシュを叩き込む。
こうなるとこちらは倒れるしかない、ハメられた!!と気づいた時にはもう遅いのだ。
これがポン・ジュノ監督なのだ。

そして最後の最後にも観客の心のハシゴをサッと抜き去っていく。
金持家族の首長である父はあるIT会社のパク社長、彼は「一線を越えてくる人間が嫌いだ」と妻に言う。
パラサイト家族の首長である父はパク社長の専属運転手をしている。
「あの運転手はその一線を越えるか越えないかの瀬戸際をあぶなっかしくはあるが越えては来ない、そこが良い」と金持父は言うのだが、一点だけ気に入らない点があるという


それは「彼の匂い」だ。


あの大根を腐らせたような、ボロ雑巾を煮たような匂いだけはどうしても堪らないと言う。
人はどんなに相手のパーソナルな一線を踏み越えないように努めても、その臭いだけは自分の意思と関係もなくその線を越えて行く。
湿気の多い半地下の生活こびりついたあの臭いが、貧乏生活が染み付いたあの臭いが、パク社長の鼻腔を突く。
どんなに香水をつけようが、洗濯物をゴシゴシ洗おうが、体にこびりついた「貧乏」という臭いは消すことができない、その臭いがパク社長の鼻腔を突く。

何かに対する嫌悪感とは五感が感知するものか、それとも価値観が感知するものなのか
どちらが正しいのかはわからない。
でもパク社長は五感で臭いに嫌悪感を示し、父はそれが貧乏の臭いだと知っている。
自分がどんなに頑張って富裕層のフリを決め込んでも、どんなに相手の一線を越えないようにしようと思っても、自分の生活が、環境が、その一線をズカズカと越えて行く。
「貧乏」という自分自身ではない、ではない自分のステータスがそれを越えていってしまう。

もうこうなったらどうすれば良いんだろうか、臭いを消すには半地下から出ないといけない、貧乏を抜け出すしかない。
でも抜け出せない、抜け出す術がない。
水の流れを低いところから高いところにするのは不可能なのと同じくらい、彼らの生活を変えるのは不可能に感じられる。
だから、もう諦めるしかのだ。三放世代、七放世代よろしく、全部投げ出すしかない。

映画を見終わると、最初のあの楽しさはどこへ、、、、
と呆然と立ち尽くしてしまう。いつの間にかこんな希望のない所まで連れて来られたのだろうと考えてしまう。
でもきっと韓国ではここに描かれているのは現実で、その現実はマジで、笑うか諦めるしかないくらい対処が難しいのだろう。
だからポン・ジュノ監督はこの映画を笑わせて、諦めさせる映画にしたのかもしれない。
内容の面では明るくも暗い映画だし、笑えるしゾッとする映画でもある。
でも映画全体から受け取る印象は、希望なんてもう無くない?と問いかけながらも、でもそんなわけないよねって言ってくれる暖かさもある。
それをあえて声に出さず、自分で気付いてもらう事で明るい方向に向かえるのかもしれない。
だからコメディやエンタメという娯楽の皮を被せたのかもしれない。

映画の最後、モールス信号で毎日必死にある人物がある人物にメッセージを送るシーンがある。
きっとポン・ジュノ監督もそのモールス信号の点滅のように、自ら読み解いてこそ価値のあるメッセージを世界に発信していたんではないかと、帰り道歩きながらボーっと考えたのであった。

というわけでパラサイトは本当に楽しくもありながら、でもやっぱり「それだけじゃねーから!!」と、いきなり笑顔でラッシュをかましてくるような、そんな恐ろしい程に奥深い映画でした。

ちなみにね、パラサイト家族の長女のパク・ソダムちゃんが個人的には超タイプでした。
あの韓国人の民族的な美しさっていうんでしょうか、切れ長で少しつり上がった一重の目が本当に美しくもあり、妖艶ないたずらっぽい感じもあって、あぁ、あの車で脱いだパンツくださいみたいな。そんなオプション的な楽しみ方もあってパラサイトすごい楽しかったです。

でも、でもである。
ここまで熱っぽく書いてはいるんだけれど、正直な所「これが、アカデミー賞か」という気も少しする。個人的には作品賞でノミネートされていてブログにも書いた「マリッジ・ストーリー」だったり

「フォードVSフェラーリ」の方が面白さでいうと一枚上手かなと思ったり、同じ韓国映画だと「コクソン」「サニー 永遠の仲間たち」の方が面白いんじゃないかなと思ってしまったのだ。
まぁでも、やっぱり「パラサイト」が素晴らしいというのは変わらないので別にこれはこれでいーじゃないかとも思う。
やっぱりアジアの映画がアカデミーを獲るというのは嬉しいし励みにもなる。
ちょっと不満なのは日本映画だってこのくらい小さな物語で素晴らしいものがあるのだからもっと発信力を強く持って、いつかはアカデミー賞を獲ってもらっていたいという事だ。
「万引き家族」だって良かったじゃないか、あのレベルの作品は知られていないだけできっといっぱいあるはずだ。


そんなわけで今日はこんなところでしょうか!!

最後までありがとうございます。最後におすすめ関連作品。
今日は先にあげました韓国映画をおすすめ!!

3/11(土)公開 『哭声/コクソン』予告篇

「コクソン」
ある街で起こる怪現象に迫るホラーサスペンス。
これ、結構怖いので怖いの無理な人はちょっとおすすめできません。
が、本当に最後の最後までグワングワンと振り回され最後にはポーンとハンマー投げの如くわけのわからない方向へぶん投げられる。そんな映画です。
観た後に何日間かはこの映画について調べてしまう、そんな中毒性のある映画。個人的には韓国映画では本当におすすめ。

映画『サニー 永遠の仲間たち』予告編

「サニー 永遠の仲間たち」
「コクソン」とは打って変わって明るい青春時代の話。
韓国の今と昔がわかるという部分でもおすすめだし、脚本、演出、俳優、韓国映画の全ての面での質の高さをもろに感じられる一本。

はい、そんな感じです。

では!!

コメント