エロ、グロテスク、バイオレンス、エンターテインメントの根源はこうした露悪的なものではないかと思う。
露悪的なものは純粋なラブストーリーや家族の愛をうたう物語、そんな健やかで爽やかなものの影に咲く闇だ。しかし一度興味を持ってしまうと危険な魅力で人の心をひきづり込む。
目の前の華々しさや美しさをふるい払ってでも、人々は露悪的なものをその目に焼き付けたくなる。
自閉症の妹に売春をさせ、その姿を克明に描く片山慎三監督のデビュー作「岬の兄妹」はそんな危険な魅力を持った作品だ。
悪い言い方をすれば「見世物小屋」のような映画であり、しかしその露悪性の中にしっかりと「正しさのかけら」のようなものを散りばめ、見ているものに「正しさ」とは何かを問いかけてくる。
デビュー作ながら多くの賞を受賞し誌面や映画通からも絶賛で迎えられた片山慎三監督が長編2作目「さがす」を世に放った。
そこにはどんな「露悪的」なるものが描かれ、「正しさのかけら」が落ちているのだろうか。

この記事では映画「さがす」の
・スタッフ・キャストの概要
・あらすじ
・魅力
・見どころ
・参考作品
について書いています
概要
製作陣・キャスト
「さがす」は2022年1月21日公開の日本映画。
自主制作にして第1作目の「岬の兄妹」で第41回ヨコハマ映画祭、第29回日本映画批評家大賞で新人監督賞を受賞した片山慎三監督の商業映画デビュー作となる。

片山監督は「パラサイト/半地下の家族」のポン・ジュノ監督や「リアリズムの宿」「リンダリンダリンダ」の山下敦弘監督の下で助監督を務めた後にデビューした。
その他作家性が強い作品からドラマ作品の映画化などエンターテインメント性の高い作品にも助監督として携わってきた経歴を持っている。
今作「さがす」の主演には名バイプレイヤーであり自身も映画監督として作品を作る佐藤二郎。
コメディーリリーフなイメージの強い佐藤二朗をミステリー要素の強い今作に当てるという変わったキャスティング。
そして佐藤二朗の娘役を演じるのが子役として「湯を沸かすほどの熱い愛」で高く評価された伊東蒼。
指名手配中の殺人犯=「名無し」を、若手ながら多彩な役柄をこなす清水尋也が演じる。
その他「全裸監督」で黒木香役を演じた森田望智や松岡依都美、成嶋瞳子、品川徹など。

撮影は「岬の兄弟」でも担当した池田直矢。
脚本は監督の片山慎三の他ネットフリックスドラマ「新聞記者」などの小寺和久、「そこのみにて光輝く」「ボクたちはみんな大人になれなかった」の高田亮の共同制作。試行錯誤の結果脚本は12稿まで改稿が重ねられたという。
あらすじ
大阪西成地区に住む親子原田智(佐藤二郎)と原田楓(伊東蒼)。
父の智はある日
「指名手配中の男(通称=「名無し」)を電車でみたんや」
と話す。しかしその翌日、智は突然姿を消す。
父をさがし始めた楓は父の日雇い労働現場を訪ね「原田智」と名乗る男を見つけるが、そこにいたのは冷たい目をした若い男(清水尋也)だった。
街で父の捜索願いの張り紙をする楓は、殺人で指名手配中の「名無し」の張り紙を目にする。
その顔は日雇い労働の現場でみた若い男そのものだった。
なぜ父の名を殺人犯が?父はどこに?
物語の視点は楓→殺人犯名無し→智と変わり、事件の真相、そして亡き妻公子の死についての真相が徐々に明らかになっていく…
魅力:ハードコアなワイルドサイド。且つ至極のエンターテインメント
アバンタイトルと言われる映画タイトルが出るまでの時間は、これから映画を観る者のテンションを決める重要な数分間だ。
「さがす」は謎めいたアクションに始まり、疾走感あふれるアバンタイトルで観る者を「映画」というライドのシートにがっちりと縛り付ける。
冒頭で娘役の伊東蒼が大阪の繁華街を疾走する長回しと画面展開が小気味よくチェンジしていく編集は撮影の池田直矢の技術と片山慎三監督の画面構成ビジョンのセンスの高さが存分に感じられ、ハイスピードでエキサイティングだ。
そこから大阪の親娘2人の漫才のような掛け合いで急に笑わされる展開の妙は、この映画の持つ起伏の多さをわずか10分程度に凝縮して物語っている。
そして忽然と姿を消す父、父の名前を名乗る殺人犯に似た男、ドヤ街を舞台にギャング映画さながらチェイス劇を繰り広げる娘と殺人犯…と、観客はめくるめく展開で物語に釘付けになり映画そのものにサスペンド(宙吊り)されてしまう。
日本映画独特の静かな雰囲気の中、キャストの表情を、行間を読んでください…という能動的視聴というものをこの映画は全く感じさせない。
観客は浴びるように「さがす」の映画世界を感じるだけで良い。
派手なアクションやCG、わかりやすいギャグを入れずにここまでするりとエンターテインメントをする日本映画はあまりない。
展開のジェットコースターっぷりや笑いとミステリー感の織り混ぜ、謎が次々と明かされていく構造はやはり師匠各に当たるポン・ジュノ作品を彷彿とさせる。
むしろその手腕はアカデミー賞受賞の最新作「パラサイト」を上回っていると言っても決して大袈裟ではないだろう。
「パラサイト」はエンタメ性の高さに韓国(と言うより全世界の)の「貧困」という社会問題を潜ませ、そこに絶望と現実味のある微かな光を当てたことで大きく評価された。
では「さがす」ではどうだろうか?
「さがす」の物語の核・テーマとなっているのは「安楽死」だろう。
智の妻であり楓の母、亡き公子はALS(筋萎縮性側索硬化症)という手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく難病を患っていた。
ここに関しては後述するが、「さがす」はこの重いテーマ・モチーフを物語の核に据えつつしっかりとエンターテインメントでドライブさせ、且つスピードメーターはがんがんに振り切ったハイスピードの疾走感がある。
扱うテーマやモチーフは間違いなくハードコアでワイルドサイドを行く映画だが、展開やミステリーの布石の置きどころで見事に極上のエンターテインメントに仕上げられている。
見どころ:「正しくなさ」のなかに光るひとかけらの「正しさ」
前述の通り、「さがす」では、父はどこにいったのか?謎の指名手配版=名無しの正体とは?
などミステリー的要素が物語の推進力となり、観客の興味をサスペンドする役割を果たしている。
同時にウェイトを占めて描かれるのが智の妻であり楓の母、亡き公子の存在だ。
公子はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病によって時間と共に体の自由が奪われ、会話すらもどんどんと困難になっていく。

彼女が望んだものは「死」だ。
人としての形を無くしていくような自分、それを支える家族を目の前にしてそう思うのは想像に難くない。
さらにこの映画ではその妻の変わりゆく姿を残酷に、且つ克明に描く。
だからこそ観ている側はこの家族が抱える暗い闇を全面に受け止めざるを得ない。
目を当てたくない光景と、きっとどこかにあるこの現実が観客全員に痛く突き刺さる。(事実劇場で自分の隣に座っていた方は目を伏せていた)
しかしこの妻の描写は片山監督の真骨頂でもあると言えるかもしれない。
片山監督作品で「生きるられることの残酷さ」が描かれているシーンがあれば、そこは見逃してはならない。
誤解を恐れずにいうならそれらのシーンは露悪的で残酷で、観る人によってはトラウマにもなる。
今作「さがす」では、特に妻の自殺現場を目撃しながら助けながら呆然とたたずむ智、そして2人の目がしっかりと合うシーンが強烈だ。
その後、力無き妻にされるがままにキスをされる智の困惑の表情には言葉が出ない。
それは悲しくもあり、美しくもあり、同時に残酷でグロテスクでもあり官能的ですら、はたまた恐怖ですらある。
綺麗事では片付けられない感情を片山監督は観客の心に抱かせる。
一見露悪的にすら見えるこれらのシーンは片山監督の独自の感性が注ぎ込まれているはずだ。
「岬の兄妹」でも自閉症の妹が性の喜びに目覚める姿は、必ずしも一つの感情で表現し切れないアンビバレンスが心の中で音を立ててうずき出す。
片山監督はこうした露悪的なものシーンを撮るのが本当に上手い。
そして同時にそれら全てのシーンに露悪的ならざるものが混合している。
自閉症の妹に売春をさせる兄、それを悪と思わず、むしろその快楽に溺れゆく妹。
兄の行為が100%間違っているとは、映画を見終わった観客は断言できない。
「正しくなさ」のなかに、ひとかけらだけ光る「正しさ」を片山監督は描く。
だから様々な感情が胸に渦巻き、目を伏せたくもなり、同時に何か大切な物を見逃せないという想いを抱かせる。
片山監督が作る映画はハードコアで、どこか危険な匂いが漂う映画だ。
バイオレンス多くないが、「生」を中心にして、それに対する正しさや美しさを恐怖も交えて問いかけてくる。
今作「さがす」ではそのハードさに加えてサスペンスフルなエンターテインメント性が加わり、さらにはコメディ感も十分に漂い、扱うテーマの重さを受け止めやすい質量にまで見事に軽減している。
だから多くの人に届きやすく、楽しまれ、かつ怖がられ、一生に心に刻まれる映画にすらなりえるだろうと思える。
同時にその作品の先に微かに光る「正しさ」のかけらの存在に目を向けさせる。
片山監督は
「「岬の兄妹」で、あの兄と妹がやっていることが正しいのか正しくないのか」ということを外野からは決められない。
「さがす」パンフレットより片山慎三監督
今回は、正しいのか正しくないのかということを誰が決めるのかということをやってみたかった」
と語る。
ラストシーンの規則的な「あるもの」の弾む音は、片山監督がこの映画に込めた問いをより一層哲学的なものにする。
是非とも作品をチェックしてもらいたい。
世界に届いてほしい
長編映画二作目ながら確かな傷跡を残したであろう「さがす」
2022年2月2日現在、昨年公開された濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」の米国アカデミー国際長編映画賞のノミネートが確実視され、且つ作品賞等の主要部門にもノミネートされるのではないかと言われている。
作品賞はノミネートされることすら日本では初となる。
2020年のアカデミー賞では韓国映画「パラサイト」がアジア映画で初めて作品賞を獲った事もあり期待は膨らむ。
しかし「パラサイト」が極めてエンターテインメント性があったのに比べて「ドライブ・マイ・カー」はエンターテインメント性はおろか、動きの少ない静かな通好みの映画だ(と、分かりやすい映画が好きな自分は思う)(同時に静かな中に確かな動きも感じはするが…)。
行間を読み、フィルムに刻まれる豊穣な映像感覚をキャッチできなければなかなか楽しむことは難しい映画だ(と、分かりやすい映画が好きな自分は思う)
「さがす」はかなり「パラサイト」に近い作りとなっていると個人的には思う。
サスペンスフルで動きがあり、笑いも取れる、そして人間が生きていく上でどうしようもなく対峙しなければならない問題もしっかりと描かれている。
「パラサイト」ではその部分が「貧困」という社会問題だったわけだが、代替する重量としてはひけをとらないだろう。
「ドライブ・マイ・カー」も良いがやはり「さがす」こそ世界に届いてほしい。
これだけ手放しで楽しめて、且つ価値観を震わせる映画だって、日本は作れるんだ!ということを示せる作品ではないだろうか。
さいごに:まめ情報
最後にパンフレット等に載っていたまめ情報をちょっとだけ。
「2作目が肝心なんですよ」
片山監督にとって長編二作目となる今作「さがす」だが、片山監督は
「2作目が肝心なんですよ。ポン・ジュノは「殺人の追憶」、デヴィッド・フィンチャーは「セブン」が2作目でしょ」
と語ったらしい。
なるほど「さがす」も傑作なわけだ、上記の二つに引けをとらない。
実話が基に!?
片山監督の父も実は「逃げている指名手配犯を電車で見た」と語っていたことがあり、今作「さがす」はそんなエピソードがアイデアの起源になっているらしい。事実は小説よりも奇なり。
ドッキリ的演出
佐藤二郎が妻役の成島瞳子にキスをされるシーン。
このシーンは佐藤の台本にはキスに関しては書かれておらず、佐藤自身はキスされることを知らなかった。
そして公衆トイレで森田望智演じるムクドリが「お父さんと同じ匂いがする」というシーンも佐藤の台本にだけ書かれていなかった。
どちらのシーンも直後の佐藤の演技が映画全体の絶妙なスパイス兼名シーンになっているさすがの演出とアイデアだ。
参考作品
いくつか個人的に話やテイストなどが似ているものをピックアップしてみた。
特にナ・ホンジン監督の「チェイサー」は類似性もあり単体でもとても楽しめる作品なのでおすすめです。
・「チェイサー」監督:ナ・ホンジン
・「哀しき獣」監督:ナ・ホンジン
・「パラサイト/半地下の家族」監督:ポン・ジュノ
・「豚と軍艦」監督:今村昌平
・「復習するは我にあり」監督:今村昌平
・「祭りの準備」監督:黒木和雄
・「そこのみにて光輝く」監督:呉美保
「チェイサー」「哀しき獣」「パラサイト/半地下の家族」「そこのみにて光輝く」はU-NEXTで見れますので是非!

そんな感じ!
ではまた〜!
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