2022年1月15日現在、全米興行収入ランキングで年を跨いで4週連続1位をキープし続けている映画がある。
その映画とは「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」だ。
2021年の12月15日に全米公開され(日本では2022年1月7日公開)その週に1位を獲得。年末までの約半年の期間で5億7298万4769万ドルを稼ぎ、結局は2021年の年間興行収入ランキングでは2位の「シャン・チー/テン・リングスの伝説」の2億2454万3292ドルにダブルスコアをつけ1位となった。
めちゃくちゃ久々に更新する今回の記事では全米ではもちろん我が日本でも公開週に見事「劇場版 呪術廻戦 0」をぶっこぬき1位をゲットした「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」について書いてよう(ちなみに「劇場版 呪術廻戦 0」の初週興行収入は16億に対して「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は9億…すごいね「呪術廻戦」!)

この記事では
・作品概要
・あらすじ
・「落下」という切り口でみたスパイダーマンというヒーロー像の描かれ方
・作品全体のレビュー
・参考書籍
などについて書いています。
読みたいところから読んでみてくださいね〜
ネタバレに関して
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は映画館によっては「ネタバレ禁止」の立て札が置かれているように、扱うにはとてもセンシティブな感覚が必要になる作品だ。
しかしネタバレ禁止とされている部分こそがこの映画のキモでもあるので今回はネタバレ全開で書かせてもらいたい。
ですので
ネタバレが嫌だよ!って方はここから先は読まないようにしてください。
ネタバレに関してはかなり寛容的と自覚する自分でも、やっぱり今回の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」に関してはネタバレ無しでのぞむのが最善であると思う。
それでもこのご時世早々に映像ストリーミングサービスで公開されて、核心の部分もすぐに周知の事実となると思うので、「配信を待ってから見ようと思う」って方はばりばり読んでもらっても良いと思います。
もしネタバレを望まない方は下記「目次」から「「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を見る前に」にぶっ飛んじゃってください
作品情報
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は2021年アメリカ公開映画。
言わずと知れたアメリカのコミック出版社マーベルコミックのヒーロー漫画「スパイダーマン」の映画化作品だが、映像作品化の権利はソニーピクチャーが所有している。
マーベルといえば2008年の「アイアンマン」から「MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)」というシリーズを展開し大成功した。
「MCU」は一つの世界の中で複数のヒーローが活躍する世界観の事をいう。
だから「アイアンマン」の作品の中に「キャプテン・アメリカ」という別のヒーローが出てきたり、「アベンジャーズ」というお祭り騒ぎ作品の時には東映の夏休みばりに全員集合したりもする。
「MCU」に登場するヒーロー達の映像作品化権利は当然マーベル(今はディズニー傘下)が持っているわけだが、今は映画界を支配しているマーベルも2000年頃は倒産の危機にあって、その際に当面の苦難をしのぐためにソニーに「スパイダーマン」の映像作品化の権利を売っていた。
そして作られたのが2002年サム・ライミ監督、トビー・マグワイア主演の「スパイダーマン」だ。世界中で大ヒットした。

サム・ライミ監督版は2007年の「スパイダーマン3」まで3本続きヒットもあって「4」の制作の話もあったが監督とプロデュース側の不破で破談となったらしい。
しかしこの3部作で「スパイダーマン」は金のなる木ということが分かり2012年には全く違う世界という設定で「アメイジング・スパイダーマン」というシリーズがリブートされた。

監督は「500日のサマー」などのマーク・ウェブ、2代目スパイダーマンにはアンドリュー・ガーフィールドが選ばれた。
「アメイジング・スパイダーマン」も上々のヒットを飛ばしたがイマイチ盛り上がりに欠けるということで「アメイジング・スパイダーマン2」をもって打ち切りとなった。
しかしソニーにはまだ映像作品化の権利がある。しかも本家のマーベルは「MCU」シリーズの大成功で映画界の覇者となっていた。
そこで「スパイダーマン」の「MCU」参加の話が生まれる。
要は「アイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソーがいる世界にスパイダーマンも出しちゃわない?絶対売れるよ」って話だ。
どちらからコンタクトをとったかは定かではないが結果的にこうしてソニーとマーベルはタッグを組むことになり「スパイダーマン」は「MCU」に合流することになった。
その第一作目が「スパイダーマン:ホームカミング」だ。タイトルからまさしく「おかえり」な、歓迎ムードが溢れている。

「MCU版スパイダーマン」シリーズの監督はジョン・ワッツというホラー映画の作り手、一代目の監督サム・ライミが自主制作のホラー映画出身という事とも重なっている。
そして3代目のスパイダーマンに選ばれたのがトム・ホランドという21歳のイギリス人。
スパイダーマンの主な設定がこれまで高校から大学だったのに対しトビー・マグワイアやアンドリュー・ガーフィールドが一作目を演じたのは27,29歳頃だった。
トム・ホランドの童顔も相まって設定通りのスパイダーマンの若さが素の出立で表現できていてまさに適役だった。

そんな1作目、そして2作目の「スパイダーマン:ファーフロム・ホーム」は「MCU」パワーも後押しして大ヒット。主演のトム・ホランドは「007」のジェームズ・ボンドの誕生秘話を制作しようと映画会社に持ちかけるほど肝っ玉の成長も含め注目俳優へと成長した。そしてヒロイン役のゼンデイヤの存在感は若手俳優の中でも頭ひとつ抜けている感すらある。
(ちなみにトビー・マグワイアもアンドリュー・ガーフィールドも普通にスター俳優だがこのシリーズはヒロイン役のキルスティン・ダンスト、エマ・ストーン、ゼンデイヤとスター女優の登竜門的な役割も果たしている)
というところで今回の3作目の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」だ。
概要説明が長くなってしまってすみません。ようやくあらすじです。
あらすじ
2作目の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」のエンディングにて全世界に正体をバラされてしまったピーター・パーカー(スパイダーマン)。
困ったピーターは「アベンジャーズ」として共に戦った至高の魔術師「ドクター・ストレンジ」に自分の周囲以外から自分が「スパイダーマン」であるという記憶を消すように頼む。
しかし魔法は失敗しピーターが生きる世界は、他の世界線と禁断の合流を果たすことになってしまう。
そこに現れたのはサム・ライミ版「スパイダーマン2」でニューヨークを混乱に陥れた「ドクター・オクトパス」、そして同じくサム・ライミ版「スパイダーマン1」でのピーターの親友の父「グリーン・ゴブリン」だった…。
歪んでしまった世界線、ピーターとドクター・ストレンジはどうやってこの危機を回避するのか…!?
というお話。
私と「MCU」作品群
「MCU」作品に関して書かれているものや、語られている話を聞くと、とかく
「この作品とこの作品はこういう感じで繋がっている!」
「ここにこいつが出てきたってことは、次のあの作品ではあいつが出てくる!」
とか、考察や超解像度の高い解説が場を支配している。
今回自分はそういうことは書かない。
というよりそこまで「MCU」を熱心に見ているわけではないし、そこまで愛着もない。そして何より個々の作品に映画的な面白さがあるかどうかイマイチ分からないからだ。
所詮は子供騙しのような気もしてるし、それを見て興奮している大人は「興奮しているふり」をしているのではないかと勝手に冷ややかに見ているくらいだ。
しかし「スパイダーマン」に関しては子供の頃熱中したゲーム「マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター」にも登場していたこともあって、不思議と「スパイダーマン」シリーズだけはしっかりと見ているし、毎度結構熱くなったり、楽しんだりしている。
もしかしたら「MCU」ファンそれぞれにこういった理由が大なり小なりあるのかもしれない

真空波動拳などの超必殺技がインスタントに出せる感動
「落下」から見るスパイダーマンの歴史
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は後述するネタバレ事項にこそこの映画、ひいては「スパイダーマン」映画の歴史の真骨頂を見出せると思っている。
そしてそこに関しては正直「最高!!」と両手ぶちぎれレベルで叫ぶことしかできない。
本当に、ほんっとうにその部分に関しては映画に対して最高の体験をさせてくれたことに感謝している。
しかしそこに関しては巷でも、SNSや他ブログ等でも散々に言われていることだと思うのでそちらにお任せすることにする。
あくまで個人的な目で見たこの映画の切り口を提示したい。
その切り口は「落下」である。
「スパイダーマン」という映画の歴史は「落下」に始まり、「落下」によって20年の歴史の環が美しく閉じたように思う。
ネタバレ総合レビュー
とうとうネタバレになるが、本作の一番の魅力、そしてヒットの要因としてやはり
!!歴代スパイダーマン全員登場!!

に、あるだろうと思う。
加えて言えば「MCU」が今後のシリーズ展開で大きな武器に掲げようとしている「マルチバース」という概念の入門的な役割も担っているようにも感じられた。
バースとは「世界線」と訳すと分かりやすいかもしれない。
「マルチバース」って?
「マルチバース」とは簡単にいうと「複数の世界線の融合」だ。
「Official髭男dism」の大ヒット曲「Pretender」の歌詞にも
もっと違う設定で もっと違う関係で
「Pretender」-Official髭男dism
出会えた世界線 選べたらよかった〜♪
って歌詞があるけどまさにその「世界線」のことだ。
一つ事例を出すならば、マーベルコミックでキャプテン・アメリカの女性版みたいなキャラクターがいる。
このキャラクターは、キャプテン・アメリカ誕生の実験シーンでトラブルによってスティーヴ・ロジャースでなく恋人のペギー・カーターが実験ブースに入り、彼女が超人血清を注入されてしまった…という設定から生まれた。(これはディズニープラスにて「ホワット・イフ…?」という作品で映像化されているらしい)
つまりスティーヴ・ロジャースがキャプテン・アメリカになった世界線とは別にペギー・カーターがキャプテン・アメリカ(女性版)になった世界線が実は並行に存在しており「マルチバース」の世界ではその世界線同士がなんらかの理由で混ざり合ってしまうわけだ。
詳細までちゃんと考えると頭ががおかしくなるのでやめておこう。
要は異世界の人同士が同じ世界に入ってしまうってことだ。
こうなるといよいよ何でもありになってきそうなもんだが、今回の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」では細かい説明をなるべく省き作劇によって感覚的にこの「マルチバース」の概念を説明している。
「特殊な蜘蛛がいる」という一つの真実のみを物語の地平に置き、この蜘蛛がピーターA(トビー・マグワイア)を噛んだ場合、ピーターB(アンドリュー・ガーフィールド)を噛んだ場合、ピーターC(トム・ホランド)を噛んだ場合の世界が存在し、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」で歪んだ世界線によって3人がピーターCの世界に送り込まれることになった。もちろん実際のトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドとトム・ホランドががっつり共演している。
そしてこの3代スパイダーマンリアル大共演というのが今作の最大の目玉だ。
劇場の反応
ちなみに自分は公開二日目の1月8日に映画館で鑑賞した。
劇中スパイダーマンのスーツを着た男がバースのゲートの向こうから近づいてきてパッとマスクを取り、そこにアンドリュー・ガーフィールドの顔を見た時劇場から「オー!!」とどよめきが起こった。
静かに鑑賞する行儀のいい日本の映画館では相当珍しい瞬間だったと思う。
「まぁでもまさかトビー・マグワイアは、ねぇ?出ないでしょ…」と思ってたらまさかのトビー・マグワイアも登場!ここでも同じく映画館にどよめきが起こった。
自分は今作の予習は全くしてなかった(過去の「スパイダーマン」シリーズは全て見直した)が、この2人が出演することはおそらく完全非公開だったのが劇場の反応で分かった。
2人の登場のビビットな驚きを劇場の人達と共有でき、劇場全体のどよめきを経験できたのはやはり劇場鑑賞ならではの映画体験だろう。
ストリーミング配信ですぐ観れるから、とあまり劇場に行かない人も映画館でたまに起こる、こんな奇跡の映画体験を是非ともしてもらいたい。(もちろん今作に限らず)
もちろんトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドという歴代スパイダーマンが登場すること自体嬉しいことだが、やはりそこに至る構成がとても巧みだった。
劇中の、ちょうどストーリーが一段落して休憩…みたいな場面で急にポン!ポン!とこの2人が登場する。
監督のジョン・ワッツの手腕もが大きいと思うが、やはり世界中に莫大なファンの心を掴んできたマーベルの経験的集合知によるものが最も大きいように思う。
ただひたすらに同じような作品を量産している(その面もあると思うが)わけではなく、やはりスタッフ一丸となり作品毎に進化していて、最新作の今回は一応は一つの集大成でもあるだろう。特にサプライズに持っていくまでの後世、タイミングは神がかっている。
役者にすら脚本を全て見せない程、マーベルは秘密主義だと言われている。
今回も最大のサプライズを完全に守り切って一気に大放出!そして大成功!これにはさすがにマーベルに冷ややかな目を向けていた自分も見方を変えないといけないような気がした。
とにかく歴代のスパイダーマン、そして歴代のヴィランがキャスティングそのままで出てくる「全部乗せ」的展開で激しく戦うラスト30分は「スパイダーマン」シリーズをこれまで観てきた人にとっては幻でも観ているかのような不思議さと感慨に満ちた体験になるだろう。
「スパイダーマン」に頻出する「落下」とは、スパイダーマンのヒーロー像を表している
ようやくこの記事の本題の「落下」についてだ。
「スパイダーマン」シリーズには「落下」というモチーフが何度も登場する。
そしてそこでスパイダーマンは大きな決断を迫られスパイダーマン、というかピーター・パーカーの人となりみたいなものを見る事ができる。
すなわちそれは「スパイダーマン」とはどんな価値観を持ったヒーローなのか…という事が分かるシーンでもある。
サム・ライミ版の「スパイダーマン(1)」ではクライマックスでキルスティン・ダンスト演じるヒロインのMJ(メリー・ジェーン)がヴィランのグリーン・ゴブリンに宙から落とされる(ライミ版のMJは大抵クライマックスで高いところから落とされてる)。同時にマンハッタンとルーズベルト島をつなぐロープウェイに乗る乗客もロープウェイごと落とされる。
ここでピーターはどちらかを救わないといけないという選択を迫られる。幼きヒーローのピーターは欲張りなことに両方救うという物語の掟破りを犯すも見事に成功するのだ。
ここでは成熟した並のヒーローであれば「運命の選択」という葛藤が生まれるところを、若さに任せて両方とも救おうとする荒々しくも純心で、少年的若さに溢れるスパイダーマン像が見えてくる。
あるいは「アメイジング・スパイダーマン2」のクライマックスでは恋人であるグウェン(演じるのはエマ・ストーン)が時計台から「落下」する。
宿敵を倒し終えたばかりのピーターだったが最後の力を振り絞りグウェンに向かって糸を放つ。
間一髪!!地面スレスレでキャッチするピーター!!
助かった!?のか…しかしグウェンはピクリとも動かない。
助かったかどうか分からないまま次のシーンへジャンプし、次のシーンはグウェンの葬式から始まる。ピーターは大切な人を助ける事ができなかったのだ。

「スパイダーマン」シリーズは両親のいないピーターの親代わりであるベンおじさんとメイおばさんが主要なキャラとして登場するが。どの作品でもピーターは2人のどちらかから
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
ベンおじさんorメイおばさん
と言い聞かされる。
「アメイジング・スパイダーマン2」のクライマックスではこの言葉を現実のものにするかのように、自らの巨大な力が引き起こす出来事にグウェンが巻き込まれてしまう、というピーターのトラウマが描かれている。
続編が作られればこの出来事はピーターの自戒となり物語の推進力の鍵になった要素だろう。
おそらく「アメイジング・スパイダーマン3」の製作を見越してのグウェンの死だったと思うが、予定通り続編が作られなかったためにグウェンが無駄死にとなってしまっているのがとても悔しい。
「MCU版スパイダーマン」の一作目「スパイダーマン:ホームカミング」ではスパイダーマン本人がヴィランのヴァルチャーの手によって空中から「落下」させられる。
この時はトニー・スタークによる遠隔アイアンマンの助けでなんとか助かったが、ここにはまだまだ未熟なよちよちヒーローなスパイダーマンが見えてくる。
さらには「スパイダーマン:ホームカミング」のクライマックス、今度は逆にヴィランのヴァルチャーをスパイダーマンが空中から「落下」させる。
しかし最終的にはピーターはヴァルチャーを火の海から助け上げる。
このシーンは敵すらも無慈悲に扱わない心優しき、それでもまだ未熟感のあるヒーロー像が見て取れる。
そして今作である。
今作が「MCU版スパイダーマン」シリーズだけでなくこれまでの「スパイダーマン」シリーズありきの作品、あるいは集大成的な作品である事を踏まえると「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の「落下」は非常に胸に刺さるものがある。
今作のクライマックスは歴代スパイダーマン3人と歴代ヴィランが勢揃いしどんちゃん騒ぎのバトルを繰り広げる。
そして御多分に洩れずこのシリーズのヒロイン、ゼンデイヤ演じるMJ(メリー・ジェーンではなくミシェル・ジョーンズという名前になっている)が自由の女神のトップから「落下」することになる。
もちろん助けに行くのは今作の主役でMJの相手役ピーターC(トム・ホランド)なのだが、ここでグリーン・ゴブリンの邪魔が入って助ける事ができない。
もはや墜落必須!となったところ、地面スレスレでスパイダーマンAorBがMJをキャッチする。
マスクを脱ぐとそこにはピーターB(アンドリュー・ガーフィールド)の姿…
「アメイジング・スパイダーマン2」では大切な人グウェンを救えなかったピーターが今作では全く違う世界線で、違うピーターの大切な人を救うのだ。
うう…泣ける。
こればっかりはやっぱり「スパイダーマン」シリーズを見ていないと感じ得ない感動だろう。
そして映画を見る目をもっとマクロにし、様々な理由から製作されなかった「アメイジング・スパイダーマン3」のあるべき姿を見せてもらったような気さえなれる。
良かったね、ピーターB(アンドリュー・ガーフィールド)!
作劇の流れにしても効果的なスパイス(劇中一番のシーンと言ってもいい)となっているし、ライミ版から全作に関わっているプロデューサーのエイミー・パスカルから「アメイジング・スパイダーマン」シリーズへのお焚き上げ的な意味合いも含まれていたのではないだろうか。
今作の「落下」では「アメイジング・スパイダーマン2」の合わせ技でスパイダーマンというヒーローは孤独に戦うヒーローではないという事が提示されているのだと思う。
今回は奇跡的に他の世界線からの助けであったが、思えばライミ版の1、2でもスパイダーマンは1人で戦っていなかった。
ゴブリンに負けそうな時は勇気あるニューヨーク市民が橋からゴミ投げ攻撃で援護してくれた。
ドクター・オクトパスにやられそうになった時も、電車の乗客はスパイダーマンを守るために死を恐れず立ちはだかった。しかも乗客はスパイダーマンの素顔を見たにも関わらずその正体を誰にも話していない(多分)
「アメイジング・スパイダーマン2」のエンディングではグウェンの死から立ち直れずスパイダーマンを辞めようとしていたピーターの前にまたしてもヴィランが登場する。
街が混乱に飲み込まれる中、ヴィランの前に姿を現したのはスパイダーマンのコスチュームを着た小さな少年だった。
非力ながらスパイダーマンのように街を守ろうとする小さなスパイダーマン。
小さいながら大きな仲間を得てピーターは再びマスクを被るシーンで映画は終わる。

上記3つはシリーズ屈指の名シーンだ。(ただ3つ目はちょっとストレート過ぎてわざとらしさが拭えない感はある…)
スパイダーマンは決して1人で戦っているのではなく、ニューヨークの人々、そして違う世界線のスパイダーマンと共に戦っているのだ。まさしくキャッチコピーの「あなたの親愛なる隣人」にたがわぬ姿と言える。
「落下」するものを救う、なんてシーンはヒーロー映画ではありふれている。
しかし「スパイダーマン」シリーズはそのありふれたシーンに各作品で脈々と意味を織り込み、シリーズ全体を連ねて編む事で、ありふれたシーンをとんでもなく意味のある、感情を突き動かすシーンにしてしまった。
連作だからこそ、自らが設定した世界観だからこそできる強みを最大限に活かしているのだ。
こんなに完成度の高い作品、というかシリーズ、そして幸福に終われるシリーズはあまり多くないだろう。
スパイダーマンの「落下」の歴史に注目して、そこにどんなヒーロー像が現れているかを見てみたがどうだろう…?
なんとなくそんな感じ…しないでしょうか?
ワシントンD.Cの塔での「落下」なんかも良い例ですよね。あそこにはどんなヒーロー像が描かれていたかなんて視点で見直してもらえると嬉しいです。
とても長くなってしまったが、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は自分が2022年で最初に劇場鑑賞した作品だ。
けれどもこのままこの年の年間ベストになってもおかしくないなとも思う。
もちろんそれはこれまでの「スパイダーマン」シリーズがあっての前提だが、この前提を無自覚に、且つ過剰に信用した続編というものがとても多い。
多くのシリーズものは観客が前作の内容を覚えていると甘えている部分が多いし、前作があってからこそ活きる演出や構成が少ない。
最新作を見て、「ああ!このシーンとこのシーンが繋がってるんだ!」と感覚的に思い出させる作品こそ最良の続編だと思う。
その中でもこの「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」はこれまでの「スパイダーマン」シリーズをがっちりと連結する力があるパワフルな作品だ。
そしてガーフィールドのMJキャッチシーンはシリーズ完全走者が見ると自然に涙が出るシステムが構築されているはずだ。
映画館で多くのファンと共に涙を流してほしい。
暗いから、きっとバレない。
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を見る前に
個人的に今作を見る前にはやっぱり「MCU版スパイダーマン」だけでなく、サム・ライミ版「スパイダーマン」、「アメイジング・スパイダーマン」は是非とも見ておいた方が今作の魅力を全開で味わってもらえると思う。
ただ、今作までに計7作あるのでなかなか時間に余裕がないと厳しいだろう。
もし1作だけなら見れる!という方は「アメイジング・スパイダーマン2」を是非とも見てもらいたい。いきなり「2」かよ!と思うかもしれないが、それでも勧める理由やはり「アメイジング・スパイダーマン2」と今作は深いつながりや製作陣の想いがこもっていると思うからだ。
U-NEXTであれば前作の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」以外は見放題で見れるのでおすすめ(「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」も199円or199Pで視聴可能)
一ヶ月無料キャンペーンもやってるし、何しろ他のサブスクサービスに比べて格段に映画やドラマの品揃えが良く、かなりマニアックな作品も揃えているのも嬉しい。
(格闘技のRIZINも見れるよ!)

最後に
一応最後に少しだけ「アメイジング・スパイダーマン」について書いておきたい。
いかにも興行収入が振るわず打ち切りになったように言われている「アメイジング」シリーズだが、興行収入的には大ゴケだったというわけではない。
一般的に超大作映画は製作費の3倍を稼がねばならないと言われている。
「アメイジング・スパイダーマン」の製作費は3億ドル、それに対して世界興収は7億と確かに3倍は行っていないが損益分岐点には達しているレベルにはあった。
しかし増え続ける製作費に対して作品を重ねる毎に興収は落ちていくだろう、その悲観的観測によって3の打ち切りが決まったというわけだ。
だから正確にいうならから「稼げはするけど、大きくは稼げない」という感覚だったらしい。
なおかつマーベルとソニーの間には5年に一度はスパイダーマン映画を制作しないと映像作品化の権利をマーベルに返さないといけないという契約が結ばれていた。
そこから「アメイジング3」or「「MCU」合流の新シリーズ」かという分岐点の末、後者を選んだということなのだろう。
今作「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」で非常に大きな意味を持つ「アメイジング・スパイダーマン」シリーズが黒歴史や戦犯的な扱いをされている雰囲気があるので、一応擁護しておきたいと思った。
作品としてもサム・ライミ版の青春とシリアスとコメディが混ざった作風とは違い、クライムアクション感が強くで少し影のある雰囲気があって全くもって悪くないシリーズだと個人的には思っている。
ちなみに上記のソニーとマーベルの関係などはてらさわホーク氏の
「マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?」
を参照している。
「アイアンマン」から始まる「MCU」全映画の批評に加え、破産寸前だったマーベルがどのように映画界の覇者にまで息を吹き返したか、あるいはマーベルスタジオがどのように体制をシフトしていったかなどなど、俯瞰して「MCU」の流れを見る事ができておすすめです。

「MCU」制覇マラソンのお供にして身はどうだろう。
それではまた!
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