「天気の子」映画レビュー。「天気の子」に見る、電車でねぶりあうブスカップルの真相。

映画

なぜだろう?

そうやって常に疑問を抱くのはとても大事なことだ。

自分のことなのにわからないことはたくさんある。

なぜだろう?

それでもそう問うてみると意外や意外、答えが見えてくる。
普段わからなかったことも、わかろうとするだけでその答えが見えてきて、それを言葉にしてどこかに書いてみたり、心の中で反芻し続けるだけで自分の生活がほんの少しだが変わったりする。
自分のことに関してなぜだろうと思いながらも解決できていない事は、意外にただ考える時間が足りないだけだったりするかもしれない。

でもまぁ誰だって自制心が強い人ばかりではないので、いつのまにかなぜだろうの答えを忘れて、ほんの少し変わった生活がもとどおりに戻ったりしてしまうこともある。

だから度々なぜだろうと疑問を抱き、一生懸命考えてみる、自制心が弱い人はこれをたくさんやらなきゃそうそう変われない。自分がまさにそうだ。

なんでこんなことを書き出したかというと、最近ブログの更新が少しづつスローになっていたからである。
そこでこの疑問を解決すべく、最近編み出した秘剣「なぜだろう」をスッパと抜いてみた。

斬ってみた感じ分かったのは

・一回書くのにめっちゃ時間がかかる
・観た映画に関して書きたいが、書くのがめんどくさい

これではあまり解決にならない、さらに一太刀
「なんでめんどくさいんだろう」と問うてみる
するとまた答えが見えてくる

・あらすじを書いたり、章立ててかいたりするのがめんどい。
・悩まずに、さらっと書きたい

ここまでくればもう簡単。最後は秘剣を出すまでもない、素手でセイっ!である。
こうして自分が最終的に出した結論がこちらである。

・あらすじとか書かない
・章立てとかしない
・そのときに思っていることをさらりと書く

とてもシンプルだ。秘剣の切れ味は衰えていない。これなら毎日楽しく書けるはずだ。
とても気分が良い。座頭市ばりにタップダンスでも踊りたい気分だけれどできないし夜なので今日はやめておく。

そしてたまにこのブログを見てくれている方なら気づいているかもしれないが、ですます調もやめている。
この方が色々と思い切ってかけそうなのでとりあえず今日はスパッと言い切る感じ書いてみようと思う。とはいえなんかたまにですます長の方が都合がいい時もあるのですごい局所的にですますも使おうと思う。いや、思います。

「天気の子」映画レビュー

映画『天気の子』スペシャル予報

そんなこんなで先日、話題作の「天気の子」を見てきたので書いてみよう。
まず、面白かったか面白くなかったかと聞かれれば、

面白いとこもあったし、面白くないところもあった。

ざっくり言うとそんなところだろう。
「いや、そんなんなんでもそうじゃん、なんだって面白いとこもあれば面白くないとこもあんじゃん」
と言われるのは目に見えるが今日はもう細かく書かないことにした。
この心の声に従うとおそらくまた細々と色々書いてまた明日からまたブログを書くのが面倒になってしまう。
というか今ちょっと詳細に書こうとしたらかなり先が長くなりそうなので急いでdeleteキーを長押ししてここまで戻ってきた。

なので簡潔に書こう。
「天気の子」の監督は2016年に「君の名は」を大ヒットさせた新海誠監督。
「君の名は」がなければ間違いなく今作もこれほど話題になっていなかったであろう。
加えて今回は、というか今回も「君の名は」の制作メンバーとほぼ同じ布陣で挑んだ作品だ。もちろん誰しも「君の名は」級の映画が見れると期待を寄せるだろう。
しかし大ウケした後の作品はだいたいは大ゴケないしはあんまり話題にならないことが多い、公開から2~3週間たった今の段階で世間的にそこまでのニュースになっていないところからすると、まぁ今回は「君の名は」程の評価はきっと受けないんだろうなというのが個人的な印象。

前回の「君の名は」はあそこまで大ヒットしたのは疑問だったけれど、もちろん映画としてはとても面白かったし、思春期に見たらこれは結構影響されちゃうだろうなと感じた。
個人的には恋愛系で影響されちゃった映画としては「耳をすませば」だったけれど、きっと「君の名は」を思春期に見た子達は自分が思春期に「耳をすませば」に抱いた感覚と似た感覚を抱いているんじゃないかと勝手に思っている。
しずくちゃんに恋をしたというよりは、恋愛に対し恋をした。みたいな、そんな感じだ。

新海誠監督というと切っても切り離せないワードとして「セカイ系」というワードがある。
そこまですっきりとしたカテゴライズではないので詳しくはここらへんを読んで概略だけでも知ってもらえれば良いと思う。
ざっくりいえば
「世界で起こる天変地異や、なんらかの危機的状況。それらは他者を介さずに、「僕」と、その隣にいる「君」の物語だけで語り、「僕」と「君」の行いがその物語の運命を決める」
こんなかんじかと思います。

ちょっと分かりづらいので今回の「天気の子」のあらすじ&ネタバレを交えてこの「セカイ系」の概念を説明します。

「天気の子」の舞台は雨がやまなくなってしまった東京が舞台。
しかしヒロインの女の子は祈るだけでなぜか少しの時間だけ晴れを呼べる「100%」の晴れ女。
そして主人公の男の子はその子を好きになり、なんやかんや2人は良い感じになります。
そしてなんやかんやでその女の子の祈る力は、実は使うたびに自分の命を削っているという事が分かります。
でも天気を晴れにしてみんなに笑顔になってほしい女の子は頑張って天気を変えて最終的に消えてしまいます。
一時は晴れた東京でしたが、女の子に会えなくて悲しい男の子は不思議な鳥居をくぐって女の子に会いに行きます。
そして2人は不思議な世界で再開を果たし、女の子も復活するのですが、また東京は雨が降り始め、その後三年間も止むことなく降り続けています。
要は2人の会いたいという気持ちが、東京の天気をまた雨にしてしまったのです。

セカイ系はざっとこんな世界です。
2人のセカイが皆の世界を変える。
大雑把にいうとそんな感じ。

前回の「君の名は」も少しこんな風潮ではあったけど、でもまぁ少なくともセカイ系というカテゴライズを簡単にはできない話だったなと。

そういう意味では今回の「天気の子」はセカイ系の急先鋒の新海誠監督が
「世界よ!!本当のセカイ系ってのはこういう事だ!!」
とかなり自信を持って送り出した感じが個人的には強く感じたところ。
そんなセカイ系の教科書的に見てもらえたらとても楽しめる作品だと思います。

さて、本題に行くのになんだかんだかなり時間を使ってしまったけど、いったん冒頭に戻りたい、そう

なぜだろう?

である。
日頃感じるなぜだろうリストの中に、考えてはみるけれど答えが出せないものがあった。
それが今回のタイトルにもなっている

電車でねぶりあうブスカップル

である、これは車内だけの話ではない。駅の改札、電車を待つホームでも同様。

そして「ねぶりあう」とは、周囲の空気とは明らかに逸した空気を放つほどに異常な距離で接近し、頰やおでこをべったべたにひっつけ合い、果てはキスでもしてそうな、なんなら舌入ってんじゃねえか、耳をすませば音でも聞こえてくるんじゃないかくらいに愛し合う様子のこと。

そして一番重要なのがここ

ねぶりあってるやつらはほぼ100%の確率でだいたいブス

これこそ自分が長年なぜだろうと問い続けるも答えが出せなかった難問。

が、しかし

なんと自分はついにこの長年の謎に答えを見つける事ができた。
そしてそのヒントとなったのが今回見た「天気の子」
と、いうことなんですね。
やっと書きたいとこまで来れた。

電車でねぶりあってるブスカップルには実はある共通点がある。それは
彼らはみんななぜかちょっと悲しそう

というところ。
ここまで気づくとある仮説に行き当たる。

彼らはもしかすると、2人が会える最期の時を過ごしているのでは?

という仮説だ。

これはどういうことか、それは「天気の子」を例に出すと分かりやすい。

つまりは彼らブスカップルの「君(女の子)」側は、「天気の子」の晴れ女の力を持つ女の子のように、実はいつも自分の命をすり減らしながらこの世界を何か強大なものから不思議な力で救っている。という設定なのではないか
そして「僕(男)」側はそんな彼女を救うか、あるいは世界を滅亡させるか、その選択の狭間で揺れている。
「君」と共に生きる未来→世界は滅亡
「君」を失った未来→今まで通り平和な世界

これが自分が打ち立てた仮説である。

ねぶりあうブスカップルはいつもこんな設定の中生きている、いや必ずしも設定とは言い切れない。これは現実の世界で起きていることかもしれない。そんなことは誰だってわからない。
そして僕らはねぶりあうブスカップルに

「何も知らずに、のんきに毎日生きてやがって!!
世界は今、とんでもないことになっているのに!!」

と嘲笑されているかもしれない。

しかし、仮にこの仮説が正しいとしても、双方がブスであることにはまだ説明がついていない。
ではなぜ、ねぶりあうカップルはかなりの確率でブスなのだろうか。

ここからはかなり偏見もあるのでご容赦願いたい。

ブスというのは女性でも男性でも、生まれてからはだいたい、基本的に学校では注目されないグループに属しがちだ。
明るくひょうきんであれば目立つイケイケなグループに属すこともあるが、大人しい性格だとほぼ目立たない(語弊を恐れずいうとイケテナイ)グループに属す。このことは小中学校と義務教育を経れば見えてくる一つの身近な現実だろう。

そういうグループには基本的に男女間の交流がとても少ない、これはあくまで主観だが、まぁ多分少ないだろう。
これは人間の根源的な喜びの一つに「異性との交流」があるという事を前提にするとなると、世のブスは生まれてから長い間根源的な喜びに触れる機会がとても少ないということになる。
そうするとブスはどんな思考に至るか、おそらく多くのブスはそのまま粛々と生きて行くだろう。そこにはきっと良い出会いだってあるはずだ。
しかし少数のブスは違う、自らの生い立ちに悲劇性を見出し、その反動である種の「選ばれしもの思想」にたどり着くことになる。
俺/私は悲劇のヒーロー/ヒロインだ
そんな思いがブスを支配する。

そしてそんなブスとブスが巡り合った時(奇跡の出会い)2人の中にセカイが生まれる。

周りの連中が知らない「君」と「僕」の2人のセカイ。
2人だけがねぶりあうセカイ
世界が滅びそうだってのに、こいつらは仕事をして、酒を飲んで、とんでもなくでかい世界で、埃のような小さな愚痴を言ってやがる。
そんなバカみたいだけど、「僕」たちが守らなければいけない世界…
「君」を失って、続いていく世界…

きっとブスの男側はこんなことを考えているだろう。
そして果てには電車でねぶりあう。最期の時だから、死ぬほどねぶりあう。

でも彼らは互いの家に行ったりはしない。お互い実家暮らしだからだ。知らないが多分そうだろう。
ブスは実家暮らし、これも大体は相場で決まっている。
あと大体フリーターか大学生だ。これも大体は相場で決まっている。

以上、「天気の子」を見て自分はなぜかこんなことを思った。

これも日頃のなぜだろう?のなせる技だろう。

ただブログに関するなぜだろうはまだまだ解決できなかった。
サクッと書くつもりが、なんだかんだ長くなってしまった。

ここもまたなぜだろうと問い続け、スパッと読みやすいものが、かけていけたら良いなと思う。

次回も、お楽しみに

では!!

コメント