「恋人たちの予感」映画レビュー(ネタバレ) 映画史上最もくっついてほしくない二人が…

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「30歳を超えた男女の色恋沙汰なんて誰が見てーんだよ」

20代前半、何に対しても強気で突き進んでいた若き日の自分はこの世に数え切れないほどあるであろう「いい年した男女の恋愛ドラマ」を見るたびに息巻いていた。
時は過ぎ、いつのまにか自分が「30歳を超えた男女の色恋沙汰」の男側になることも知らずに……

いざ30歳を超えてみると、映画の趣向もだんだんと変わっていく。
昔はミニシアターでかかるようなテーマ性も少し曖昧とした雰囲気重視の作品なんかが好きだったりもしたが、今は自分の置かれている状況に近いものだったり、これは自分の事を描いてやがる!!と深く感情移入してしまうものに心が惹かれる。そうなると「30歳を超えた男女の色恋沙汰」を描く映画は若き日の自分の息巻きっぷりを忘れるくらいにどうしてもウォッチしたくなってしまう映画となる。

はい、というわけで今日はラブコメ映画の大傑作ながら日本ではそこまで知名度が高くない「恋人達の予感」について書いていこう。

「恋人達の予感」(原題:When Harry Met Sally)1989年公開
監督:ロブ・ライナー
脚本:ノーラン・エフロン
出演:ビリー・クリスタル、メグ・ライアン、キャリー・フィッシャー

まずは監督のロブ・ライナー。この人は若き日のジャック・バウアー(キーファー・サザーランド)も出演していた普及の名作「スタンド・バイ・ミー」や、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの超ベテラン俳優W主演が話題になった「最高の人生の見つけ方」などの監督で
少年時代だけに存在するイノセント且つ危うい冒険心や、酸いも甘いも味わい尽くした人生のベテランが織りなす深い味わいまでをも描ききる。
年齢と共に変わっていく人生観や自分を取り巻く環境を絶妙に上手く切り取る。それこそこのロブ・ライナーの手腕だろう

そして脚本のノーラン・エフロンはこの映画のヒットの後「めぐり逢えたら」「ユーガットメール」で同じくメグ・ライアンを起用しヒットを飛ばしたラブコメ脚本の名手だ。

そこに、後にアカデミー賞で9度の司会を務める事になる稀代のコメディ俳優ビリー・クリスタルと、当時上り調子の人気女優メグ・ライアンが合流する。
彼らが集まり引き起こした化学反応は、どうしようもなくこみ上がってしまう笑いと、年増の未婚男女が互いを支え合う「男女の友情」、そしてその奥にずっしりと横たわる「恋の予感」を生み出す。

主人公ハリーを演じるビリー・クリスタル
ヒロインのハリーを演じるメグ・ライアン

少年時代の危うくもその時にしか生まれない冒険心を「スタンド・バイ・ミー」で描き、後に「最高の人生の見つけかた」で老練の有名俳優二人が人生の最後にとっておきのスパイス見つけるヒューマンドラマを描くことになるロブ・ライナーが今回選んだ題材は30歳の独身の男女だ。
人生の第二ステージとも言われる年齢に不遇ながらパートナー不在の二人の男女。
彼らだけが持っている特殊な感情や環境を、コメディも含めながらリアリティ満載に描ききるのがこの映画の特徴。

「40歳になっちゃう。40歳が袋小路のように私を待ち構えている」

10代最後の大学入学時に出会ったハリー(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)はNYまでの18時間の上京ドライブで大喧嘩し、そのまま別れてしまう。
時は過ぎて社会人となり偶然再開した二人にはパートナーができていた。
出会いを振り返りながらも、お互いの幸せな近況を聞き過去の喧嘩を水に流した二人。
30歳を超えた二人はまたも再会する。
しかし不幸な事に二人ともパートナーを失っている。ハリーは妻と離婚、サリーは恋人と破局の直後、いがみ合いの出会い、仲直りの再会、そして三度目の出会いで二人は互いを慰め、そして支え合う親友となる。

しかし30歳の再スタートはなかなかに厳しい。
節目の年だけに気持ち新たにスタートラインに立ってはみるものの、先ゆく友の背中ははるか蜃気楼。いや、蜃気楼さえ見えない。
見えるのは40歳という遠いはずの人生の折り返し地点だけ。
まだまだ10年程先とは言えど、なぜだかその折り返し地点はやたらに近くに見える。悪夢か幻想か、それは折り返し地点という単なるラインではなく、もはや迫りくる壁のようにも見えて高く、威圧的だ。
この映画、明るく楽しいラブコメではあるが劇中でサリーが元彼の結婚を知り
「40歳になっちゃうぅぅ。40歳が袋小路のように私を待ち構えている。ぅぅぅ」
とハリーに泣きつくシーンは自分の心情を代弁しているかのようで心が締め付けられる。
分かる、分かるよサリー。俺も怖いよ。あの壁怖いよな、高いよな…なんなのあれ
そんな具合に思わず激しく同意してしまう。

もちろんその後のハリーの
「なに言ってんだよ、まだ9年も先じゃないか」
という言葉でふと我に帰るものの、やはり見直した眼前に高くそびえる40代という壁は高く、思わずスタートの瞬間に逆走したくなる。
逆走するのは確かに楽だけれど、やはり前に進まなければいけない。
壁にたどり着くまでには楽しいこともたくさんあるかもしれないが、それでも怖くて怖くて、ひたすら40代という高い壁を見ながらの地獄のレースを一人で走るのはなかなかの胆力が必要そうで辛い。

この映画を見ていると30代独身(恋人なし)というのは得てしてこういった辛さを抱えているものだよな…と、どうしても感情移入せざるを得なくなる。
ここらへんがやはりロブ・ライナー監督の、ある年齢が持つ特有の感情や心情を切り取る上手さが光る部分だ。
迫ってくるような、待ち構えているような巨大な恐怖に対して、それでも逃げずに立ち向かわなければいけない複雑な心境を、笑いも交えながら、でも実は意外に真顔で描ききってくれている。
「ハハハ!!」と笑った直後「いや実際笑えないわ…」と思わずこちらも真顔になってしまう。

喧嘩して、謝って、抱き合って。そんな二人に悶える

前述のサリーの「40歳になっちゃう」と泣きじゃくるシーン。
このシーンのメグ・ライアンはめちゃくちゃに可愛らしい。
まだまだ遠い未来を危惧しワンワンと泣き喚き、ついには40歳の恐怖のあまりに10年近い将来がついぞ明日に迫っているかのような発言をしてしまう。
まるで兄が風邪で寝込んで「おにいちゃんが死んじゃうぅぅ」と泣いてしまう小さな妹のような、子供のような可愛らしがある。
そしてその脇でメグ・ライアンが必要な時にサッと無言でティッシュボックスを差し出すビリー・クリスタルの優しさも可愛らしい。
泣きじゃくる妹の隣で優しく頭を撫でてやるような可愛らしさだ。
そんな謎の兄妹像が浮かび上がるほどにこのハリーとサリーの関係性は可愛らしく恥ずかしながら思わず悶えてしまう。

この映画は、初めは最悪の仲だった二人が、徐々にお互いを信頼し支え合う親友となり、そしてそれが恋になるのか…ならないのか…という展開で進む。
もちろんラブコメものという売り方から最後にはこの二人が絶対に結ばれるんだろうな…とは思っているものの、見ているうちにこの二人は映画史上最もくっついてほしくない二人になっていく。

最悪の出会いから数年経った二人はパートナーを失ったお互いを励まし合う。
セックスがあるかぎり、男と女の友情はありえないと言い張っていたハリーだったが、不思議な事に二人の間に恋は芽生えず友情のようなものが芽生えていく。
彼らは互いの友人を紹介しあったり、デート相手の愚痴を言い合ったり、時には喧嘩はするものの、のび太くんとドラえもんばりに男女間を超えた親友になっていく。
喧嘩をしてもどちらかがちゃんと謝って、最終的には二人で強く抱きしめ合う姿が最高におかしく、可愛らしくて愛おしい。

男女の友情、しかも同性同士よりも強い友情が芽生えた二人。
そんな二人が結局恋人同士になってしまったら面白くない。
お互いを思いやり、喧嘩してもすぐに仲直りしギュッと抱きしめ合う超可愛らしい二人でいて欲しい。
こんなに男と女の関係になってほしくない男女を映画でやドラマで観たことがない。後にも先にもこの二人以上にくっついてほしくない二人は現れないだろう。

が……

男と女は、やっぱり男と女。
その身体と身体が近づけば近づくほどに、心の中に眠る危険な性が目を覚まし二人の間に禁断の「興奮」が生まれる。
まるでお互いの距離を保っていた磁力がクルッと逆向きになるように二人は引き寄せられ、唇を重ね、体を絡ませ合う。

そして皮肉な事に、性の眠りと共にまたも磁力は向きを変え、一時の「興奮」は「過ち」へと変わる。
男女間の友情は嘘のように消えて無くなり、一方が距離を戻そうと近づけば近づくほど、それと同じ分二人の距離は離れていく。

あんなに信頼しあっていた二人が、男女の性を超えて抱きしめあっていた二人が、いつしか気まずい、ぎくしゃくした関係へと変わっていく。
一方が追えば一方が逃げる展開にジリジリと焦らされ
あの二人の幸せな姿をまた見たくなる、昔の二人の関係が愛おしくなる。

こうして映画史上最もくっついてほしくない二人は、映画史上最もくっついてほしい二人に変わる。
観客の強い気持ちは登場人物にエンジンをかける。ここから映画はペースを変えハイスピードでクライマックスへと突き進む。

「過ち」の後に気まずそうに逃げるようにその場を去っハリーだったが、彼はその行為自体が「本当の過ち」だった事に気づく。
彼女がいない生活にはぽっかりと穴が空いた。
彼女のいない生活は物足りなく、どうしても寂しかった。

国が湧く大晦日の夜。一人ぽつねんと歩く男が、徐々に歩みを早め、いつのまにかニューヨークの肌寒い夜を走り出した。

サンドイッチの注文に1時間半かかる君も

かくして映画史上最もくっついてほしい二人、のうちの一人であるハリーは、サリーがいるニューイヤーパーティーの会場にたどり着く。
彼女を見つけるや否やハリーは彼女への愛を告げる。
しかしサリーは大晦日の寂しさからそんなこと言うのね、と意に介さない。
出会った時から皮肉屋で憎まれ口ばかり叩いてきたハリーは最後も彼なりの言葉で返す。
彼の渾身の愛の塊を、サリーに向かって全力でぶつける

「サンドイッチの注文に1時間半かかる。それでも君が好きだ。
僕を見る時に眉間にシワが寄る。そのシワも好きだ。
僕の服にしみつく君の香水、その香りも好きだ。
一日の最後におしゃべりしたいのは君だ。」

普通、恋愛映画やドラマの告白って文句はだいたい決まっている。
「失ってから初めて君への気持ちに気づいた」「世界で一番君を愛してる」
そんなところだ。
それに比べてこの映画の告白はめちゃくちゃ独特。
誰だってサンドイッチの注文に1時間半もかかる女を好きにならないし、自分をみる時に眉間をシワを寄せられたらたまったもんじゃないし、別れた後にも鼻腔をつく香水の匂いなんて耐えられない。

でも、人を好きになるってそんな訳のわからないところまで好きになってしまうことだ。
相手の些細な仕草から口癖まで好きになることだ。
もちろんそんなことは一時的で、いつしかそれは憎しみに変わるかもしれない。
でもそんな些細な瞬間さえ愛おしいと思えること。
それが恋だったり愛というものだろう。

もちろんこのセリフ自体が胸に刺さるし、憎まれ口を含んでいるからこそ逆にハリーの愛の強さや大きさを感じる。
しかしそれ以上にこのセリフには、観ているこちらの記憶の扉をソッと開けるような魔法の力があると思う。
昔の恋人の些細な仕草や表情、香るはずのない匂いや、もう触れることのできない手の感触。
そんな瑞々しさと切なさ満載の記憶が、開いた扉から急激に溢れ出て走馬灯のように脳内を駆け巡る。
映画の甘美なラストと共に私の、そしてあなたの、甘く切ない思い出がバッと溢れ出しどこかに消えていく。
そんな魔法。
(あなたも感じませんでしたか?感じましたよね?わかります。)

映画のセリフというのは、それ単体を抜き出してみても大した意味は持たない。
どんなやつが、どんな状況で、どんな経験をして、誰に対して、何を言うか
その一つ一つが絶妙なバランスで噛み合った時に名台詞と言われるセリフが誕生する。
ハリーが言ったこのセリフは、皮肉屋の彼の性格が映画全編に渡って丁寧に描かれているからこそ抜群の魅力を持つ言葉だ。
汎用性が少ないからこそ使うキャラクターにによってビシっと決まるセリフだろう。

そんなこんなで、ハリーの最高のセリフでこの映画は終わる。
と見せかけて最後にこの映画ならではのとっておきのラストがあるので是非ともそこは「恋人たちの予感」を見ていただき確認してもらいたい。

結局のとこ男女の友情って…

この映画の大きなテーマとして男女の友情があるだろう。
映画を観た後は、結局ハリーとサリーの間には男女の友情は成立しなかった。
と考えざるを得ない気がするが、はたしてどうだろう。

男同士、女同士であれば基本的に友情は芽生えるだろう。
しかし男女となるとそこはやはり複雑で友情が成立するかは明確ではない。
けれどもこの映画を観ると、大事なのは男女の友情は有りか無しかという問いの不毛さを感じる。
むしろ男女だからこそ、元々違ったものだからこそ、友情を超えたもっともっと崇高な関係というものがあるのではないか、そんなオルタナティブな選択肢がこの映画を見た後には見えてくるのだ。
今は確かにその関係にまだ名前は無い。
けれどもその名前の無い関係を、この映画は2時間弱を使ってまざまざと観客に見せつけてくれる。
まだ名前もない、けれども友情よりも恋よりも、もしくは愛よりも強い関係になったハリーとサリー。
そんな二人の関係がたまらなく愛おしくて、30歳を超えた独身のおっさんをも悶えさせてくれる。

そんなわけで良い年したおっさんが脇目も振らずも身悶えするラブコメ映画「恋人たちの予感」を是非とも皆様にも観ていただきたい。

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では!!



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